3074 “もう一つの中国”への旅(旅312)

【知道中国 3074回】二六・十・仲一

  ――“もう一つの中国”への旅(旅312)

彼らの振る舞いから宮崎は、「暹羅に在留する六百萬以上の支那人」は、どうやら「暹羅國に寄留して居ると云ふ觀念は少しもなく、唯我國土の一部に居住するが如く思ひ居るものゝ如し」と捉えた。

目下、英仏両国がシャムの殖民地化を競っているが、支那人の存在・影響力を考えれば、やはり「支那人の手を借らざれば到底能わず」と見なす宮崎は支那人は早期の殖民地化を望んでいるのかもしれない、と思い至る。それとういうのも、イギリスであれフランスであれ、殖民地化した暁には「政法は完備し、事業は擧がり、商業貿易は繁盛」するからだ。それこそ支那人からすれば願ったり叶ったり。大いに望むところだろう。

一般的に「支那人の商業上の勢力を認め」る一方で、「政治上の勢力を無視す」る。だが宮崎は「政治上の勢力を無視す」べきでない、と忠告する。それというのも、「余は未だ當國に於ける支那人の如く、剽悍なる支那人を見」たことがないからだ。

 

「暹羅に於ける支那人」の末尾に至って、宮崎は「我邦人從來餘り支那人を輕侮するに過たり。此人民は決して輕侮す可き人民に非ず。寧ろ英露の強よりも恐る可き人民なるを信ず」と、それまでの日本人の支那人に対する見方に根本的な疑問を示し、警鐘を鳴らす。

 

ここからの宮崎の展開は、130年ほどの未来に当たる現在における来日中国人の振る舞いを言い当てているようでもあり、その透徹した見方に驚愕するよりほかない。

 「今や支那國の存亡興廢に付いては重要問題として世人の均しく注意する所なり。是れ無論重要問題に相違なし。然れども殊に支那人と云ふ一種奇妙な人種には、猶ほ深く世人注目留意せんを望む。思ふに戰爭なる者は勝ても負けても一時の者なり。畢竟は人類生存の競爭に歸す。人種の生存競爭の終局は、社會經濟の理に依つて支配せらるゝものなるを知らば、支那人は將來の世界に於て實に絶大無比の勢力者たるを忘る可からず。現に彼等は歐米各國に於て社會經濟上の一問題と成り居るにあらずや。香港、新嘉坡等に於ては主客の地位を顚倒して、却て商業上の權力を一手に掌握し居るに非ずや。而して暹羅に於ては已に其血涙を吸取して其命を絶たんとして居るに非ずや。若し我國の内地を開放して、彼等の侵入を公許するの時來らば、僅かに一葦帶水の間に在る支那人種は、容捨なく我が内地に侵入して、勞働に於て、商業貿易に於て、或は工業に於て、我國と競爭するや火を視るよりも明なり。此時に當つて恐る可きは歐米の白人に非ずして、却て身一つ木頭一本にてやり來る支那人民なり。邦人須く警醒せざる可からず」

宮崎がバンコクで「支那人は將來の世界に於て實に絶大無比の勢力者たるを忘る可からず」と思い至ったのは日清戦争勝利直後。伊藤博文と李鴻章が下関条約を結んだ翌年の明治29(1896)年である。この時、滔天は25歳のスカンピンの若者にすぎなかった。

それにしても、である。「若し我國の内地を開放して、彼等の侵入を公許するの時來らば、僅かに一葦帶水の間に在る支那人種は、容捨なく我が内地に侵入して、〔中略〕邦人須く警醒せざる可からず」との130年前の警告を前にして改めて驚愕させられるばかり。やはりナメタラアカンゼヨ!

宮崎が「思ふに戰爭なる者は勝ても負けても一時の者なり」と記したと同じ頃、勝海舟は「日本人もあまり戦争に勝つたなどと威張つて居ると、後で大変な目にあふヨ。剣や鉄砲の戦争には勝つても、経済上の戦争に負けると、国は仕方なくなるヨ。そして、この経済上の戦争にかけては、日本人は、とても支那人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配するヨ」(『氷川清話』講談社学術文庫、2003年)と呟いた。 

宮崎が「邦人須く警醒」せよと説いたと同じ頃、勝は「とても支那人には及ばないだらうと思ふと、おれはひそかに心配」した。これが明治人のリアリズムなのか。《QED》