3071 “もう一つの中国”への旅(旅309)

【知道中国 3071回】                      二六・十・初五

  ――“もう一つの中国”への旅(旅309)

宮崎が乗った司馬懿号は汕頭港からシンガポールに向けて出港する。ここは一先ず宮崎が“慨嘆”を交えながら綴った文章をそのまま引用しておく。読みにくいとは思うが、是非とも宮崎の体感を汲み取ってもらいたいところではある。

 

「小雨降れども風なければ海の荒るゝ事の有之間敷と思ひの外、港を出づれば名殘の波中々高く支那人中嘔吐を催すあり、用意の竹筒に糞を垂るゝあり、居乍ら小便をやるあり、阿片を吹ふあり、彼や是や打雜りて一種云ふ可からざる惡臭鼻をモグルが如し。迚もたまらず甲板に出で見れば、幾百の御連中は雨にぬれつゝ糞小便の中に身を橫へて足蹈む場もなし。嗚呼、彼等の豚尾漢たる所以豈に唯其の尾のみならんや。甲板上處々に貼札あり、『此處不可小便』亦厠に貼札あり、曰、『諸位人客等、如欲到此大便者、祗用草紙、不可用竹枝仔以鎭塞水空、如有違者有辱、耑此告知』是等の告示何の用をか爲さん。此種の諸位人客に對して唯一片の反古に候。若し是等の諸位人客と同舟せんものは醜美無差別、糞味噌一躰の平等界に悟入せるものに非ざれば、生等の如き凡夫では到底出來ず。去れど人間と云ふもの中々死なねば死なぬものに候」

ここまで読むと、「モグルが如」き「惡臭」が行間からモヤ~ッと立ちあがり、鼻先がツ~ンと強烈に刺激されるような気になってしまうから不思議だ。

「豚尾」とは弁髪で、「漢」は男。またの名を「猪仔(小ブタ)」。そんな「支那勞働者千有餘人」が甲板のうえで繰り広げるのが「醜美無差別、糞味噌一躰の平等界」というのだから、「生等の如き凡夫では到底出來ず」。だが彼ら猪仔にとっては当たり前。岡にオーストラリアにおける「中民」「中人」の姿を伝えた二木なども、おそらくは「醜美無差別、糞味噌一躰の平等界」を耐え抜いてオーストラリアに辿り着いたことだろう。

宮崎が直面している「醜美無差別、糞味噌一躰の平等界」は、船が赤道に近づくに従ってさらに苛酷の度を増す。「此中に打交じり赤道直下の熱さもかまはず頭より毛布を打被つて寶丹を嗅ぎ乍ら兎や角氣息を續け居候」。たしかにタマッタものではなかったはずだ。

あれやこれや困惑している宮崎ら日本人乗客の前に船長が登場し、救いの手を差し伸べた。地獄で仏ならぬ、「醜美無差別、糞味噌一躰の平等界」で船長である。

乗船から2日が過ぎた「廿三日の朝に至り船長、突然生等の居場に來り、『今日は雨も止みたれば此處に居つて病氣しては惡き故、支那人の通行を遮斷して座を設け置きたれば彼方に轉居せよ』との懇言に一同元氣付き荷物を運んで直ちに船長室の傍に居直り漸く談笑高吟の境に入り申候」というのだから、ホント~にヤレヤレ。

こうして宮崎ら日本人乗客にも余裕が生まれたのだろう。「生等亦敢て威を被つて彼等に蒞まず温言を以て接し寛容を以て交れば彼亦喃々として意を迎ゆるものゝの如し」。つまり宮崎ら日本人乗客との間にもトゲトゲしさが消えた。そこで少しばかり余裕の出てきたらしく、仲間の1人は「彼等を相手に日本語を敎へなどして無聊を遣る」のであった。なお以上の引用は「暹羅行」(『宮崎滔天全集 第五巻』平凡社、昭和52年)に拠る。

ところで全世界に出掛けて行った華僑に関する資料を収めた『華工作出国史料匯編』(陳翰笙主編、中華書局、1984年)をみると、1847年から73年の間に太平洋を渡った華工のうちの海上での死亡者だが(カッコ内は乗船者数/死亡率)、ペルー(14,952人/36.84%)、キューバ(11,471人/35.18%)、北米(2,523人/64.21%)、ガイアナ(1,445人/30.00%)、パナマ(752人/22.34%)。オーストラリアとニュージーランド方面では1851年から75年の間に総計で6万人が海を渡った。1年当たり平均で2,400人ほど。このうちの何人が洋上で命を落としたかは不明だが、宮崎が綴ったような劣悪な環境を考えれば全員無事に目的地に上陸したとは、トテモじゃないが考えられない。《QED》