3014“もう一つの中国”への旅(旅254)
【知道中国 3014回】二六・六・初六
――“もう一つの中国”への旅(旅254)
校名の真ん中に「五戒」の2文字を差し挟んでいるとはいえ、小学校低学年の子供に「五戒」に「不飲酒」は行き過ぎだろうと口にすると、姜校長はこう説明してくれた。
「じつは中国語教育なり中国語による教育に対するミャンマー中央政府の対応は、『支持もしないが反対もしない』で一貫している。つまり当局にとって我が校のような存在は決して好ましいものではない。そこで補習学校の形、あるいは仏教寺院の名義で政府当局に届けることで、学校経営の便法を考え出した。校名にわざわざ仏教の教えの『五戒』を冠したワケも、そこにあるからです」
ということは校名には場違いと思われた「五戒」の2文字には、厳しい政治環境のなかで中国人としての教育を目指す関係者の知恵が働いていたことになる。
「それでは」と腰をあげた姜校長が先に立って、校内を案内してくれるという。
真っ先に向かったのは、あの寺院風の建物だった。足を踏み入れてビックリしたのは大きな祭壇の上に立つ3mほどの高さの金色の孔子像に、それよりやや大きい黄金の仏像だった。それにしても、孔子像にしても仏像にしても、なぜニタニタと薄気味の悪い笑い顔をしているのか。そのうえにキンキラキンの光り耀く衣に包まれた肉体が不思議と脂ぎって感じられる。余りにも生身の、それも肥満で弛緩した肉体をみせつけられると、素朴な感情からして、神聖も霊性も感じられない。ありのままを表現するなら、ただのデブに金色の衣を着せただけ。アリガタサや神々しさが微塵も感じられない。とはいえ、そんな思いを校長に感じ取られたらマズイ。だいいち失礼だろう。
校舎内を歩く。先ず廊下の壁に張られた「読書求学之箴言」に目がいった。チョークながら惚れ惚れするように流麗な書体で「読書しても考えないのは、食事をして噛み砕かないのと同じだ」ときた。
その日は、折良く新学期直前の教科書頒布日初日。幼稚園から高級中学まで。2000人規模の生徒の教科書だから、その量たるや半端ではない。購買部では床が見えないほどに大量の教科書が積み上げられていた。もちろん大部分は台湾の公立学校で使われている教科書のコピーだが、隅の方には北京で出版された外国人向けの中国語教科書も置かれていた。もちろん、こちらもコピー版である。
一部でも購入したいが、と尋ねる。姜校長からは「特例として認めましょう。全冊を日本に持ち帰っても問題ありません」と有り難い許可が下りたが、全部となると半端な分量ではない。そこで目の前に積まれていた幼稚園と初級中学の教科書を購入したが、それでも相当の分量で、持ち帰るのに一苦労した。勢いに任せた買い物であったと、大いに反省した次第だ。
辺境の、さほど豊かとは思えない山峡の街で、これほどの規模の学校を経営・維持するのは並大抵のことではないだろう、と話を振り向けると、よくぞ尋ねてくれたとばかりに姜校長は話し出す。
「ご推察の通り父兄からの学費だけでは学校経営は不可能であり、ピンワールインやマンダレー、ヤンゴンに加え北タイ、さらには台湾で活動する仏教系慈善財団からの寄付が大きな支えとなっています。当地には漢族系孤児を収容し育てている中華系仏教寺院もあり、こちらでは北タイや台湾で活動している同系列の寺院や慈善団体と提携しています」
じつはラシオ訪問以前に訪問したカンボジアの首都プノンペンの華人学校で、東北タイの中華仏教系慈善団体から財政支援を得ていると聞かされてことがある。ということは、どうやらミャンマー、ラオス、タイ、カンボジアの国境が交わる一帯では、国境を越えた中華系仏教慈善ネットワークが働いている。こう考えて間違いはなさそうだ。《QED》
