3004“もう一つの中国”への旅(旅244)
【知道中国 3004回】二六・五・仲四
――“もう一つの中国”への旅(旅244)
因みに昆明をハブにして鉄路、陸路、水路、空路で中国南西部と東南アジア大陸部(ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ヴェトナム、マレーシア、シンガポール)を結びつけ、漢族が歴史的に進めてきた「漢族の熱帯への進軍」を推し進めようという計画は、天安門事件直後から当時の共産党指導部内で構想され、着々と進められてきた。こう捉えてみると、この地域における一帯一路は習近平政権独自というより共産党政権積年の悲願であり、歴史的に捉えれば「漢族の熱帯への進軍」の21世紀版。いいかえれば習近平政権の東南アジア政策は、漢族の歴史的法則を踏襲していると受け取れるのである。
さてゴッティ峡谷に戻るが、車は谷底に向かってクネクネと続く2車線道路を何キロもかけてユックリユックリと下る。数え切れないほどのヘアピンカーブを曲がり、やがて谷底を流れる小川に到着。なんでも川床は海抜600メートル前後で、周囲の丘陵は川床より300から600メートルは高い。川床の狭い広場に待機して、小川を渡る順番を待つ。やがて小川を渡ると、今度は上りである。時に道の脇に花や線香が供えられた小さな祠が現れる。通行の安全を守る神様を祀っているらしい。
何キロも続く無数のヘアピンカーブを上り切って平地に出る。ここから先がシャン民族の本拠地であるシャン高原である。
かつて戦争時、マンダレーからラシオに進駐し、さらに国境を越えて雲南省に入った兵士は鉄道でゴッティ大鉄橋を渡って前進したのか。それとも渓谷を行軍してラシオ入りしたのか。行軍なら、下って上る渓谷の道は、さぞや苦労が多かったに違いない。
急坂の下り上りを繰り返した車を少し休めるようと、道路脇の小洒落たレストランへ。そこにいたのが20人ほどのドイツ人集団。今度はザウさんに添乗員に聞いてもらうと、一行はラシオの手前を左折して、一気に国境へ向かい、国境関門の瑞麗を経て中国国内に向かう、とのこと。
マンダレーの役所で尋ねたところでは、「外国人はラシオまで。国境関門通過は罷りならん」との返事だった。是非とも国境を通過して中国側に行ってみたかっただけに、残念といえば残念だが致し方なし。とはいうものの、このドイツ人一行が羨ましい。やはり特別扱い、ということか。
小休止を取りながら街道を行き来する車を眺めていると、大型トラックやとトレーラーに満載された荷物が気になった。中国から持ち込まれるのは工作機械、農機具、日用雑貨、衣料などで、ラシオとマンダレーを経由して全土に送られる。一方、ミャンマーからは中国に向けて米、果物、タマネギ、スイカ、玉の器、玉製の仏像などが輸出される。あるいは騰冲(騰越)の来勝寺で目にした玉製の仏像も、こうして輸出されたのかもしれない。
スイカなどは嵩張るだけで儲けは少ないだろう、と質問すると、ザウさんからは「堆く積まれた底の方にルビーや翡翠が隠されている。宝石の密輸商売が盛んなんだ」と返ってきた。ルビーや翡翠はミャンマーの特産品であり、採掘から研磨、販売まで華僑・華人業者が一手に抑えていることは、すでに和順村との関連で記しておいた。
さてラシオだが、イギリス殖民地時代から続く基地の街である。「町は地平線上に並ぶ山々に囲まれた台地にある。古くはヴィクトリア女王の治世、イギリスの軍隊は山頂に奇襲をかける際の中継基地としてラショーを利用していた。原住民を征服しようと躍起になっていたのだ」(『ナルコトピア 東南アジア“黄金三角地帯”の麻薬国家「ワ州」を追う』(パトリック・ウィン、光文社、2025年)。歴史的にも重要な戦略拠点だからこそ、ミャンマー国軍北東司令部が置かれている。おそらく国軍は同司令部とメーミョー郊外の陸軍士官学校を結び、国軍は少数民族対策ラインが引いているのだろう。《QED》
