3027 “もう一つの中国”への旅(旅267)
【知道中国 3027回】 二六・七・初五
――“もう一つの中国”への旅(旅267)
「容共連ソ」に舵を切った当時の孫文であろうはずもない。むしろ東京での悪戦苦闘の亡命生活の中で日本の心ある人々との連携に奔走する孫文であり、封建絶対体制の清朝を打倒し、アジア初の立憲共和政体の中華民国の建国を領導した孫文。いわば日本と中国との連帯の精華として孫文であった。あるいは孫文が掲げた「三民主義」に現代中国の民主化を心ひそかに意識していたのかもしれない。だが、それではナイーブが過ぎる。ともあれ垂前大使が心に描いた孫文像を知りたいところ。それというのも彼を通して、我が政府の対中外交に携わる人々の近現代中国に対する歴史認識が現れてくると考えるからである。
ここで敢えて記しておきたいことがある。日本側の支援者の立場に立って、「容共連ソ」に奔った孫文を「忘恩の徒」呼ばわりしたいとは思わない。そんなことをしたところで後ろ向きの自己満足に陥るだけで、生産的ではないからだ。孫文は中国人であり、政治指導者として自国の将来を「連ソ容共」に賭けたという事実を確認し、彼を突き動かした内外政治における権力闘争のメカニズムに洞察の目を向ければいいだけのことではないか。
アメリカ初代大統領のジョージ・ワシントンは大統領を辞すに当たり『訣別の辞』を書き留めている。そこにはアメリカ合衆国大統領として国策を遂行するうえでの忠告が、彼の後継者たちに向けて記されている。
「国家政策を実施するにあたってもっとも大切なことは、ある特定の国々に対して永久的な根深い反感をいだき、他の国に対しては熱烈な愛着を感ずるようなことが、あってはならないということである。〔中略〕他国に対して、常習的な好悪の感情をいだく国は、多少なりとも、すでにその相手国の奴隷になっているのである。〔中略〕この好悪の感情は、好悪二つのうち、そのいずれもが自国の義務と利益とを見失わせるにじゅうぶんであろう。〔中略〕好意をいだく国に対して同情を持つことによって、実際には、自国とその相手国との間には、なんらの共通利益が存在しないのに、あたかも存在するかのように考えがちとなる。一方、他の国に対しては憎悪の感情を深め、そこにはじゅうぶんな動機も正当性もないのに、自国をかりたてて、常日ごろから敬意をいだいている国との闘争にさそいこむことになる」(『第二次大戦に勝者なし ウェデマイヤー回想録』講談社学術文庫、1997年)
ところで孫文との交渉窓口となったとされるソ連共産党のアドリフ・ヨッフェについて北一輝は、「敬重から侮笑すべき者に移れるヨッフエ君」(「ヨッフェ君に訓ふる公開状(露西亞自らの承認權放棄)」『北一輝著作集 第二巻』みすず書房、昭和43年)と言い放った。ところでこの「公開状」に北は、「殊に世界中で噓を吐く國民は支那人と露西亞人である」とも記す。北の孫文に対する警戒感・嫌悪感は夙に知られたところだが、内田良平もまた孫文を評価することはなかったとされる。これが明治人のリアリズムなのか。
閑話休題。
この辺りで垂前駐中国大使が描いた孫文像の件を切り上げ、本題の「漢族の熱帯への進軍」と「一帯一路」の関わりに戻ってみたいのだが、これまで記してきたことを前提に、先ずこの地域の全体像を大雑把に捉えておきたい。もちろん、すでに綴ったことに言及することも少なくないだろうが、それは話の行き掛かりから、ということでご海容願いたい。
そこで先ず中国の地図を広げてみる。
雲南省西南地域とミャンマー東北部、タイ北部、ラオスが接する辺りに目を向けると、そこが東南アジア大陸部5カ国(ヴェトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー)に加え、中国西南4省(雲南・貴州・広西・四川)に跨がっている標高300m、広さ250万㎢キロに及ぶ広大な地域の一部であることが見て取れるだろう。《QED》
