3006“もう一つの中国”への旅(旅246)
【知道中国 3006回】 二六・五・仲九
――“もう一つの中国”への旅(旅246)
ここで『解毒金三角 中国記者跨国採訪問手記』(趙世龍・戈叔亜、経済日報社、2003年)、『国門悲歓 金三角与中国秘境■連地記実』(金馬、同心出版社、2003年。■=田+比)、『鴉片的肖像』(韓雲峰、中国青年出版社、2004年)、『亞洲週刊』(2009/9/13)などを参考に、20世紀末から2006年前後までの特区の概要を示しておく。なお、カッコ内は(中核軍事組織/その基盤/最高権力者/主な経済活動ほか/首都)。
- カチン第1特区(カチン新民主軍=NDA/元緬共101軍区/カチン族の丁英=シャコン・ティンイン/ルビー原石、チーク材/板瓦)
- シャン州第1特区(ビルマ民族民主同盟軍=MNDAA/元緬共東北軍区/国共双方の軍事訓練経験者の彭家声=ポン・キャーシン/かつての主たるケシ栽培を厳禁し、経済活動の柱をカジノに/ラオカイ=老街)
- シャン州第2特区(聯合ワ州団結軍=UWSA/元緬共中部軍区/鮑有祥(パオ・ユーチャン)。雲南出身の佤族/ケシ栽培からカジノと農業へ/パンサン=邦康)
- シャン州第4特区(シャン州民族民主同盟軍=NDAA/元緬共815軍区/林明賢。海南島出身の元紅衛兵。1968年に下放運動に従って雲南へ。その後、国境を越えて緬共に参加。なお同軍区の指導幹部には元紅衛兵が多い。林は彭家声の娘婿/ケシ栽培を止めた後、農業へ。主にゴム園、甘藷栽培、カジノ/モンラー=■拉。■=孟+力。なお「モン」はタイ語でクニを意味する「ムアン」の転。
すでに気づいたとは思うが、4つの特区は共に天安門事件発生の1989年に崩壊した緬共(ビルマ共産党)の根拠地だったのだ。これに付け加えるなら、各特区共通で人民元が通用するばかりか、なかには中国国内の郵便番号を使い、あるいは国際電話の国別コードは中国のそれを割り振られている地区もある。どうやら経済活動や通信制度上では中国の一部として機能していると考えられる。
さらに共通項を挙げると権力を握るのは中国人か、中国国内の少数民族系。カジノやら風俗営業に招き寄せられる客の大部分は越境する中国人で、雲南側の極貧地区から越境通学もみられる。いわば4つの特区は中国の飛び地に近い。昨(2025)年辺りから話題の国際電話サギ犯罪都市は特区やその近辺に点在するようだから、やはり蛇の道はヘビだ。
次に元紅衛兵と緬共に関する2冊の回想録を紹介したいが、その前にシャン州第4特区の頂点に立つ林明賢に関する必要最小限の基礎知識を知っておくのも一興だろう。
同特区首都のモンラーはメコン川沿いに位置し、ラオスに近接する。緬共の強力な根拠地の1つだったが、緬共が崩壊し1990年代に入るや中国人向けの怪しげな歓楽街――カジノ、ニューハーフの嬌声が響くキャバレー、24時間営業のレストランやナイトクラブ、さらにはアジア全域のみならずロシアやウクライナ女性がカンバンの売春業も――に大変身。国内では大っぴらに愉しめない遊びができることから、中国人がドット流れ込む。中国の対外開放が中国人の体内に眠っていた“吃喝嫖賭抽大烟の虫”を叩き起こしてしまった。革命の根拠地は忘却の彼方へ。革命の大義もヘッタクレもない・・トホホ、である。
さて林明賢だが、その源を遡れば「為人民服務」の毛沢東思想で育った紅衛兵。やがて緬共に合流し、第815戦区司令官に。緬共崩壊後は自らの私兵組織を立ち上げ軍閥化を急ぐ。2000年代に入るや、怪しげな雰囲気が漂うようになったモンラーの街に、小銭を持った中国人が吸い寄せられる。かくて増え続ける“ミカジメ料”が林明賢のフトコロを潤す。
ここで前掲『ビルマ・ハイウェイ 中国とインドをつなぐ十字路』を参考に、元紅衛兵の変貌ぶりを捉えておきたい。それというのも、彼の変貌から中国の対外開放が周辺の“もう一つの中国”にもたらした変化の一端を知ることができるからである。《QED》
