3012“もう一つの中国”への旅(旅252)

【知道中国 3012回】二六・六・初一

  ――“もう一つの中国”への旅(旅252)

屋台を切り盛りしていたのは30代半ばと思える若い夫婦だった。その夜の客は少なかったらしく暇を持て余し気味。そこで話を振り向けると、タップリと2時間ほど、ラシオの概況などを話してくれた。明日の探索の参考にと、飲みながら、食べながら耳を傾ける。

――ラシオの住民の多数は漢族系で漢語(中国語)を話す。この街に移り住んだ時代背景も異なり、その動機も雑多。漢族系以外はビルマ族にインド系やネパール系など。だからラシオは東南アジア大陸部の奥深くの国際都市ともいえるだろう。古くからの漢族系の多くは旧市街に、それ以外は旧市街の周縁部に住み着き新興居住区を築いている。

ラシオは昔からミャンマー北部の戦略的要衝として知られ、サルウィン川(怒河)支流の上流に位置し、西南方向に向かえばヤンゴンに次ぐ中部の大都市のマンダレーとなる。

中国が対外開放に踏み切って以降、中国からのビジネスは活発化の一途であり、この動きにつれて中国との往来も頻繁になった。ラシオはミャンマー中央部と中国西南を結ぶ交易ルートの結び目。マンダレーと陸路交易の中国側の関門である畹町との中間点に当たる。

ラシオはこの国の北の守りのカナメだ。漢族系が多いことから、とうぜんながら中国との最重要交易拠点であり、同時に周辺に漢族系を含む反中央政府系の少数民族居住区が存在することから、南下策に邁進する中国とミャンマーの軍事政権の関係がラシオの繁栄と安定に直結してくる。

軍事政権がラシオに東北軍区司令部を置いているのは、第一に反中央政権の姿勢を一貫して崩さない一帯の漢族系少数民族を制圧し、彼らの独立志向を挫こうという狙いから。完全制圧・武装解除が理想的な形だろうが、それは永遠の見果てぬ夢に終わる。それというのも歴史的・民族的・経済的に中国との種々雑多な深い結びつきを持つ漢族系住民は、中国政府としてはミャンマー中央政府に対する重要な戦略的レバレッジ(テコ)だからだ。こんなに重要で費用対効果の高い“政治的資産”を、北京(共産党政権)の狡猾なヤツラが手放すなんて、とてもじゃないが考えられない――

彼の話を聞いていてフト感じたのは、イントネーション、語彙、言い回しなど、彼が話す中国語は現地生まれの漢族系のそれとは明らかに違っている。じつに聞きやすい。そこで遠回りに尋ねてみると、やはり中国生まれだった。ではいつ、どこからやってきたのか。

どうやら2000年以降に雲南省の省都である昆明からやって来たらしい。「ラシオは中国の地方都市のようなもの」と語る彼に拠れば、国共内戦からはじまり現在まで中国社会の変化に応じて移ってきた中国人が住み着いている、とのことだった。

ラシオにやって来たコチラの目的を伝えた後、ラシオの見所を尋ねると、「それなら緬甸臘戍明徳(五戒)学校と観音寺だ。この2カ所にラシオの過去・現在・未来が詰まっている。いわばラシオのタイムカプセルだ。たぶん、あなたの目的は果たせるだろう」と。

それからホテルに戻り一眠り。翌朝早く街に飛び出す。ホテルの前の大通りに沿って朝メシの屋台が並んでいる。多くの客が集まる屋台へ。壊れたプラスチック椅子に黙って座ると、目の前のテーブルに立ち所に豆奬(豆乳)と油条(中華式揚げパン)が置かれる。

高地に位置するラシオの3月の朝は肌寒い。だから、ホッカホカの湯気の立つ豆奬と揚げたてのアツアツの油条はなんにもましてゴ馳走だ。先ず豆奬にパラパラと塩を振り、小口切りのワケギをドバッと載せてかき混ぜる。右手のレンゲで豆奬を口に運びながら、左手に持った油条にかぶりつく。2杯目の豆奬には砂糖を多めに入れてかき回し、一口大にちぎった油条を浸す。ここで慌てない。ともかく暫く待つ。やがて油条が甘い豆奬をタップリと吸い込んで柔らかくなった頃合いを見計らって口に運ぶ。う~ン、ウマイ。中華式朝食の醍醐味だ。腹ごしらえができたところで、緬甸臘戍明徳(五戒)学校へ。《QED》