【知道中国 426回】 一〇・八・初六
――いったい君たちは何処から来て、何処に行こうというだ・・・
『炎黄源流史』(何光岳 江西教育出版社 人民出版社 1992年)
「多くの中国に住んでいる少数民族と区別される漢族は、中国西北部の黄土高原で、先史時代の霞のなかから現れる。(中略)紀元前一〇〇〇年には、漢族は現在の中国の領域の一〇パーセント程度に住んでいた。(中略)中国の一角から始まって、漢族は驚くべき活動力を示し、続く三〇〇〇年間ひたすら外に向かって広がり、数の上でも増えた。その道筋でぶつかった他の民族の文化を吸収し続けた。この長期にわたる過程は、数千年間も持続し、今日においても漢族と漢文化がチベットと新疆に広がりつつあることから、この過程が今も進行していることが裏づけられる」(ロイド・E・イーストマン『中国の社会』平凡社 1994年)――
以上を読めば、現在、中国を「走出去(飛び出)」ていった中国人が、世界各地で摩擦を起こしている根本原因が判ろうというもの。そこで問題は「霞のなかから現れる」と表現されるように、じつは漢族の起源が曖昧模糊としている、ということ。
漢族は伝説上の皇帝である炎帝・黄帝を民族の始祖と崇め、自らの体内を流れる血が炎黄両帝に繋がるものと主張し、それゆえに自らを「炎黄子孫」と称する。黄帝を祀る黄帝陵なる壮大な墓苑が黄土高原の一角に置かれ、共産党政権成立後も現在に至るまで手厚く保護されている。近年、経済成長と共に様々な巨大施設が増設され、海外在住の華僑・華人の参拝者を集め、炎黄子孫団結の一大メッカと化している。もちろん、台湾からも多くの観光客を呼び寄せ、共産党政権による統一戦線工作の世界的基地の感を呈してきた。
さて、そこで900頁を優に超える本書だ。漢族は有史以来一貫して農業を柱として発展してきた。伝説時代の神農氏が起源となって原始農業が起こり、やがて新石器時代の農業に繋がり、人民は鼓腹撃壌の時代を迎え、黄河と長江流域に古代文明の華が開く。それゆえに炎帝神農氏と、「炎帝之兄」で同じ母親から生まれ混乱の世を平定した黄帝軒轅氏こそが民族の始祖であることを、各地で発見された洞窟に刻まれた絵画や文字(?)、甲骨文、さらにはあまたの古典的史書などの片言隻語のような記述を寄せ集め実証しようとする。その記述は博引傍証といおうか、我田引水というべきか。
著者はまた、嚇胥(=華胥)氏が漢族の始祖母で、その末裔が最初の強大な奴隷制王朝の夏朝を築き、夏朝の主要な2大氏族である神農氏と軒轅氏とが炎帝族と黄帝族とに発展し、時代の流れの中で数千の氏族に枝分かれし方国を形成し、「黄河と長江の流域に広がり、後に東西南北に向かって『遷徒(いどう)』し広大な中国の大地を覆うこととなった。さらに遠く北アジア、中央アジア、西アジア、東欧、北欧、バルカン半島、東南アジア、南アジア、南洋諸島、南北アメリカに及び、近代社会に入って華人が全世界に分布するようになった。これは長い歴史を持つどの民族もなしえないこと」。また、アーリアン系以外の全ての民族は漢族系の血が混じっているとも主張する。身勝手・出鱈目・自己陶酔の極致だ。
肝心の嚇胥(=華胥)氏の出自に言及がないのが不思議だが、実に恐ろしくも滑稽すぎる暴論、いやトンデモ本だが、それが麗々しくも「中華民族源流史叢書」と銘打って売られているところに、歴史を曲解・捏造する故なき民族優越感を感じないわけにはいかない。豚は煽てりゃ木に登り、漢族は図に乗りゃ平気で歴史をネジ曲げることの鉄証だ。 《QED》