【知道中国 1037回】                       一四・二・仲五

――「全行程を通じて、三びきのハエを見ただけであった」(中島12)

「点描・新しい中国」(中島健蔵 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 

中国においては、文化が政治であるなら経済もまた政治、いや日々の生活のなにからなにまでが政治に絡め取られてしまう。これが鉄則。いや鉄則も鉄則、大鉄則である。

 

これまで日中間の政治と経済の関係について、その時々の情況に応じ「政熱経熱」「政冷経熱」「政冷経冷」「政熱経冷」「政経分離」など様々な表現がみられたが、やはり経済は文化と同じように政治に隷属するものでしかない。こと日中関係に関する限り、「政経分離」はありえない。断固として「政経不可分」ということになる。

 

先方から兎も角も「政経分離」でいきましょうと声を掛けられると、日本側は歓喜する。文字通り複雑に錯綜し厄介極まりない政治問題を棚上げすると申し出ているんだから、こんな有難いことはない。今のうちに経済交流を実務的にドンドン押し進めてしまおうと考える。だが、それは日本側の単なる思い込みに過ぎない。悲しいかな。お人好しが過ぎるのだ。中国側からするなら、飽くまでも日本側を経済(=カネ儲け)というエサで釣れるだけ釣っておいて、結果として政治的に屈服させればいいという狙いである。「政経分離」は政治目的を達成するための方便でしかない。文化にしても同じ。文化交流を表看板にしておいて、最後の段階でどんでん返し。政治的に止めを刺すことを目論んでいるだけだ。

 

であればこそ、かつて日中貿易への参画を許されたのは、「友好第一」という政治の旗印を掲げた友好商社と呼ばれる特殊な商社でしかなかった。もちろん、その中には大商社のダミーがなかったわけではない。

 

これを言い替えるなら、中国側が掲げる「友好第一」という旗を打ち振らない限り、日中貿易に参入することなど覚束なかった。当たり前すぎるほどに当たり前のことながら、友好商社を如何に扱うかは中国側のサジ加減一つ、彼らの胸算用に掛かっていた。中国側のご機嫌を損ねた段階で、取引は即刻停止。それが嫌なら中国側の意のままに動け、である。かくて同業他社を出し抜いて貿易取引量の増大を目論む友好商社としてはニジリ寄り、ゴマをすり、媚び諂い、血眼になって中国に忠誠を尽くす。日中貿易というニンジンを目の前にブラ下げられた友好商社は、中国の政治的思惑のままに動かされ、「日中友好、ニッチューユーコー」を叫び続けたというテイタラクだったわけだ。

 

愛群大廈には北京行きの許可が下りないままに足止めを食らった日本の友好商社関係者が少なくなかったようだが、その原因を中島は「岸首相の台湾での放言」と指弾した。岸首相の「放言」とは、既に言及したことだが、57年6月に日本の首相としては初めて訪台した際の発言――「日本と台湾との真の提携がアジアの安定と世界平和のために必要だ。中国大陸は現在共産主義に支配されており、中華民国が困難な情況にあることは同情に堪えない。この意味で大陸を回復することができれば私としては非常に結構だ」――を指す。

 

共産党政権こそが中国の唯一無二の合法政権であるという共産党の立場に寄り添う中島にしてみれば、台湾に在る中華民国を国家として認める岸首相の一連の言動は、やはり許し難かったはず。彼の任務は、中国が承知しないことは承知しないと振舞うことだった。

 

そこで中島は、「“二つの中国”は、台湾に足場を持つアメリカの謀略であるという。“二つの中国”を認めることは、アメリカの謀略に荷担することである」と論難するが、こういう中島の言動こそが中国の「謀略に荷担すること」を意味していることになる。

 

おそらく「岸発言に断固反対する」という言質を与えない限り、愛群大廈で無聊を託っていた友好商社関係者に北京行きの許可は下りなかっただろう。中国側の政治的立場に対する“熱烈支持”を無条件で表明する一方で日本政府を痛烈に非難する以外、中国での商談は事実上不可能ということになる。やはり「政経分離」は絵空事だったのだ。《QED》