【知道中国 419回】                                                    一〇・七・念

――へーえ、そうだったんですか・・・

『マローン 日本と中国』(H・マローン 雄松堂出版 2002年)

 巻末の「訳者あとがき」に「原著者のヘルマン・マローン博士についてわかっていることは、プロイセンの農務省派遣の役人であるということだけである」と書かれているところからしても、ヘルマン・マローン(Herman Maron)の人となりは全く不明ということだ。とはいうものの、本書を読み進んでいくと彼の人物像は朧気ながら浮かんでくる。

 彼は農政学者で、オイレンブルク伯率いるプロイセン東アジア遠征艦隊に属する帆走フリゲート艦のテーティス号に乗り込み、日本の農産品市場の調査に当たった。

 江戸湾到着は万延元年七月二十九日(1860年9月14日)で、5か月ほどを日本で過ごし、横浜と長崎に寄港の後に清国へ。天津、北京、廈門、台湾、香港、広州などに寄り、シャムに向かっている。折から清国は、彼が「中国の革命」と綴る太平天国の乱に大混乱をきたしていたことから、叛徒(太平天国軍)や官軍(清国政府軍)の兵士にも遭遇し、敗者の全てを奪い去ってしまうような勝者のなす略奪の凄まじさに驚き、彼の考える戦争と中国でのそれとの違いに愕然とする。とはいうものの農政学者らしく、桑畑や機織り機、糸車などについて報告し、民族性についての考察を加えている。

 さてそこで中国の人と社会に対する彼の眼差しだが、思いつくままに拾ってみると、
■中国の小さな手工業者と小売店は、日本のそれとはたいへんな違いがある。日本では、ほとんどどの店にも、例えばごく小さい、最低の店でも、ヨーロッパ人の目から見ると、心を引く芸術的価値のあふれていると思われるものか、実用性の見込める小物がみつかるかするものだが、それにひきかえ中国では、ひどく汚い穴蔵のような店のなかに、粗大品がうず高く積まれているのだ。

■中国の中小の町に、見物すべきものが驚くほど少ない。町の生活はきわめて低級な必需品を商うきたない店と職人の仕事場でいっぱいである。町の大部分は食物の屋台である、それがあちこちに大食漢の市場にまで発展しているのだ。中国人は、世界一の大食漢であり、なかでも金持ちは食道楽である。

■できるだけ太ることが、清国のだて男の最初の努力なのだ。清国ほど肥えた人間を大勢見かけるところはない。しかし、それはたるんだ、むくんだ肉体ではない。なぜなら、中国人は同時に、必要とあらば強靭で粘り強いし、なによりも生殖力が旺盛なのだ。どこにも、子供がたくさんいるのには、びっくりする

■中国人は定住すると、すぐに中国社会を自分の周囲につくる。マレーシア諸国の真っただ中にいるのに、中国のど真ん中に居るのでは、とわれわれに思わせる村や町が目撃される。中国人はおそろしいほどの生殖能力があり、外国で土着人と混血する、それでもその若い世代は徹底して中国人なのである。このことは、私見によれ
ば、間違いなく精力的で恒常的になっている人種的特徴を示している。

■中国の文化と権力の高慢は、しかし中国内の教養人と権力者の一人一人にあるのではない。それは、全国民にわたって卑しい人足にいたるまで、明白に現れている。この高慢ちきは国家的な信条である。この事実無視あるいは事実軽視には、ほどこすすべがない。

「高慢ちきは国家的な信条」・・・昔も「ほどこすすべがな」かったわけですか。  《QED》