【知道中国 417回】 一〇・七・仲六
――アメリカ文化への淡く儚い仰望・・・
『カ薩布蘭カ』(〔美〕艾布斯担等 中国電影出版社 1978年)
(表題文字は、カサブランカのカが、上下を縦にあわせた字となっていますが、そのように表記できないのでカタカナで「カ」と表記しています。)
『カ薩布蘭カ』の漢字音をそのまま発音すれば、カサブランカ――北アフリカのカサブランカでの反ナチ地下活動を舞台に、ハンフリー・ボガードの陰影深く渋い演技とイングリッド・バークマンの儚くも凛とした横顔がスクリーンを飾った映画「カサブランカ」の台本を訳したこの本が出版されたのは、現在に繋がる改革・開放方針が決定され、中国が政治第一の毛沢東路線に別れを告げ、経済開発最重視の鄧小平路線へと大きく舵を切った中国共産党第11期3中全会直前の1978年11月だった。
なぜ、あの時代に、こんな本が出版されたのか。なぜ・・・?
――第二次大戦期、ハリウッドは戦争遂行を目的とする記録映画を大量に製作したが、それ以外にも戦争が舞台となった劇映画も少なからず撮影している。その中には、ハリウッド伝統のスパイ物語に反ファシストの“スパイス”を加え、アメリカの政策を宣伝する映画がみられた。その種の作品の代表作ともいえる「カサブランカ」は、基本的にはありふれたスパイ物語の類型を踏まえているが、きめ細かい人物描写が優れていると評価できる。映画芸術の側面からいえば、同種のストーリーを描くハリウッドの一般的な映画とは明らかに異なった特色を持っている。
映画台本から、第二次大戦中のナチス占領地区での人民の抵抗運動を読み取ることが出来るが、それは表面的に過ぎる見方だ。この陰影深い映画はアメリカこそが「自由」と「民主」の楽土だということを、観客の心に刷り込んでしまう。絶体絶命の危険を冒してカサブランカにやってくるのも、やはり誰もが、そんなアメリカに逃れたいからだ。アメリカのパスポートを手にすることができるかどうかが、この映画の台本にみられる主要なテーマだろう。この映画の隠れた主役はアメリカのパスポート。映画は男女の愛情物語を描くが、そこに一種の「自己犠牲」の精神がみられる。とはいうものの、それは反ナチズム闘争における犠牲だろうか。そうではない。それは単なる個人的愛情に過ぎないのだ。
基本的には、この種の映画はスパイ映画の類型に属するものであるからこそ、ハリウッドが過去に一度ならずも利用した同じような愛情物語の公式に則った反共映画といえるのだ。こういった側面からして、この映画台本は我われが研究すべきものである――
以上が、冒頭に掲げられた「編者説明」が語る「カサブランカ」の台本を「電影文学劇本」とサブタイトルを付けて翻訳・出版した理由だ。因みに、じつに丁寧な訳文ではある。
思い起こせば「カサブランカ」は銀幕ということばが無限の輝きを放ち、スターが一般人の及びもつかない煌びやかな存在として迎えられ、映画にとって幸せに充ち溢れていた時代を代表する作品だろう。その「カサブランカ」のどこに「我われが研究すべき」「反共映画」の側面があるのか。じつは反共映画という常套句は単なる“口実”にすぎないのだ。
この本が出版された時期を思い起こしてもらいたい。つまり10年も続いた文革時代、いや建国以来の毛沢東時代が求めた社会主義的勧善懲悪映画に飽き飽きしていた中国の映画人は「カサブランカ」のような愛情物語に飢えてういた。その飢えを渇かすためには、「反共映画」のレッテルを貼って誤魔化すしかなかった。この本を「『自由』と『民主』の楽土」への密やかな愛情表現と考えるなら、この時期の出版は納得できないこともない。 《QED》