【知道中国 1038回】                       一四・二・仲七

――「全行程を通じて、三びきのハエを見ただけであった」(中島13)

「点描・新しい中国」(中島健蔵 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 

岸政権の進める対中政策が「アメリカの謀略に荷担していることであるという」ことは、「中国にいて考えると、極めて明らかなことに感じられて来る」そうだ。そこで中島は、「国際勢力の板挟みになっている祖国の姿が目に浮かぶ」と慨嘆してみせる。それまでは許せそうにも思えるのだが、「島国なのだ。海という緩衝物があるために、そういう圧力を直接に感じないで、比較的のん気に日を送っている祖国の姿である」と続けるに及んで、いったい何がいいたいのかも判らない。もはや処置ナシである。

 

「比較的のん気に日を送っている祖国の姿」を云々する前に、徹底して「のん気に日を送っている」己の姿を顧みるべきだろう。この程度のトンマで無責任・劣悪な人物が長期にわたって理事長として君臨してきた日中文化交流協会とは、いったい、なんだったのか。中島が中国側に徹底して洗脳・籠絡されていたであろうことぐらいは、容易に想像できるが、いったい何を指して日中文化交流というのか。改めて問い糺したい。文化も政治であり、文化交流は政治に奉仕するものでしかなかったことを、何回でも強調しておく。

 

「(11月)八日朝、九時にホテルを出て、中ソ友好会館で開かれている、中国出口商品展覧会を見」た中島は、2年前の「一九五五年に日本で開かれた中国商品見本市の時にくらべると、たいへんなちがいである」と綴った後、「中国の人口は、概算六億といわれる。六億の人間の生活必需品を供給しつづけることは、大へんな事業である」と驚嘆の声を挙げる。さらに「一億にみたない人口の生活水準が何パーセントとかあがったというのと、六億の人民の生活水準が同じ程度にあがったというのとでは、まるで規模がちがう。質もちがうのであろう」と、日本の戦後復興を腐す一方で中国を大いに持ち上げてみせる。さらには会場の雰囲気を、「大ぜいの中国人の客が、たのしそうに、笑を含んで一つ一つに見入っているのである」と伝えた。

 

ここで1ヶ月ほど遡ってみると、10月13日には北京で国家の重大問題を討議する最高国務会議が開かれている。同会議において毛沢東は「断固として大多数の民衆を信頼せよ」と題する講話を行い、反右派闘争の内実を説いた。①地主階級、富農、富裕中農・民族資本家・都市小ブルジョワ階級・ブルジョワ知識階級の一部、あるいは労働者や貧農も含む「社会主義に賛成しない、あるいは反対する者」は全人口の10%に当たる6000万人。②その周辺にいる右派、反革命・破壊分子は1200万人。③知識分子の500万と資本家の70万人を加えると600万人で、1家が5人家族だと総計で3000万人――と数字を示し、1億200万人(=①+②+③)を、残る4億9800万人の「プロレタリア階級の小知識分子、文字を知らない労働者、農民」を総動員して徹底批判し打倒せよと煽動する。

 

15日、中共中央は「右派分子を区分する基準に関する通知」を発表し、①100%の右派分子、②右派分子容疑者、③右派分子に区分してはならない者――と闘争のガイドラインを示した。その背景には、毛沢東が煽動した4億9800万人が右派分子を無原則・過激に摘発し続けたことで社会が大混乱した。だからこそ、「積極分子の熱情と正義感によって、反右派闘争の過激化という誤った印象を生じさせてはならない」と「通知」したのだろう。

 

21日、『人民日報』は「大胆に、断固として、徹底して改めよ」と題する社説を掲げ、反右派闘争が決定的勝利を収めた地区や職場では、作風を整え工作を改める段階に入ったと呼びかけた。これぞ、4億9800万人が民族的特徴である付和雷同に奔り、反右派闘争のブレーキが利かず、社会秩序を破壊しかねない危機的情況に立ち至ったという“悲鳴”だ。

 

展覧会の「大ぜいの中国人の客」の「笑」の裏側には反右派闘争の恐怖が潜んでいたはず。だが中島が気づくわけがない。徹底して「のん気に日を送っている」のだから。《QED》