【知道中国 1039回】 一四・二・仲九
――「全行程を通じて、三びきのハエを見ただけであった」(中島14)
「点描・新しい中国」(中島健蔵 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
広州のランドマークともいえる中山記念堂で、中島は多くの少年少女を見かけ、「ピオニール(少年隊)の少年少女が大ぜい来ている。それが、新しい中国のほんとうの宝である。日本人も、この少年少女たちににらまれるような機会を作ったら、もうおしまいであると思った」と綴る。
中島のいう「ピオニール(少年隊)」の正式名称は少年先鋒隊。共産党の下部組織である共産主義青年団のもう一つ下の組織。少年時代は少年先鋒隊、青年時代は共産主義青年団において共産党の絶対無謬性を徹底して叩きこみ、やがて共産党エリートとして育てようという狙いから、建国と同時にソ連のピオニールを模して発足した。トレードマークである「紅領巾」と呼ばれる赤い襟巻は、少年少女たちの憧れの的だったようだ。
当時、彼らはどんな教育を受けていたのか。たとえば当時の小学校教師用指導要綱ともいえる『談談小学算術応用題教学(小学校算数応用問題教育について語る)』(張季芳編著 湖北人民出版社 1956年)には、小学校での算数教育の目的が次のように力説されている。
共産主義道徳の質と弁証法的唯物主義世界観の基礎を培うことで、①愛国主義の思想感情を学ばせ(そのために先進的生産者の生産記録、英雄の模範的業績、増産節約の具体例、児童の社会貢献など、祖国の社会主義建設と5カ年計画達成への奮闘努力の事例を応用問題の形で教え込む)、応用問題の回答を通じて、生徒に強烈な教育的影響を与える。②「算数の概念と知識の凡ては、客観的事物・事象が脳内に反映し抽象・概括化の過程を経て生まれるものであるゆえに、人びとの認識をより高め、生産に寄与する手段となる」ゆえに、算数教育を通じて弁証法的唯物主義世界観の基礎を学ばせる――
どうやら中島が「新しい中国のほんとうの宝」だと持ち上げた「ピオニール(少年隊)の少年少女」たちは、小学校の教室で算数を通じて共産主義道徳の質、弁証法的唯物主義世界観、弁証法的唯物主義世界観などを学んでいたことになる。算数ですらこれだ。ならば歴史に至ってはもはや唖然というしかない。
歴史副読本ともいうべき『怎樣學習歴史(どのように歴史を学ぶのか)』(崔巍 兒童讀物出版社 1955年)は、「我われの祖先は一致団結し命を盾に祖国の独立を護りぬいた」「八路軍、新四軍、中国人民解放軍、中国人民志願軍などには、祖国の優秀な子女が参加している」「中国の広大な領土は隅から隅まで祖国を護ろうとした英雄たちの鮮血で染められている」ことを判り易く説きながら、最終的には「将来の人民が共産主義の生活を送ることは絶対の歴史法則である。共産主義社会の生活は楽しいもの。そこで共産主義を実現させるために、誰と戦い、どういう形で勝利を納めるのか」を教えようとしている。
もはや多言は不要だろう。頭の中を共産主義思想教育で真っ赤に染め上げられた挙句の果てに、彼らは毛沢東絶対の政治闘争サイボーグへと改造され、10年ほどが過ぎた66年に勃発した文化大革命において、政治闘争の前面に躍りでた。『毛主席語録』を狂喜のように打ち振り、毛沢東への無限の忠誠を誓う「忠字舞」なる踊りを乱舞し、「造反有理・革命無罪」を絶叫し、「偉大的領袖毛主席」の敵を探し出し、徹底して苛め抜き、残虐極まりない方法で粛清していった紅衛兵こそ、中島が「新しい中国のほんとうの宝」とヨイショした「ピオニール(少年隊)の少年少女」の将来の姿ということになる。
中島は“上から目線の説教調”で「日本人も、この少年少女たちににらまれるような機会を作ったら、もうおしまいであると思った」と綴っている。ならば日本人は「この少年少女たちににらまれるような機会を作」らないよう、只管に平身低頭し卑屈になれとでもいうのか。そんなことをしたら、日本人として「もうおしまい」・・・だろうに。《QED》