【知道中国 289回】 〇九・十・初六
――ヨッ、皆さんお揃いで・・・
『中国共産党第八次全国代表大会文件』(人民出版社 1956年)
毛沢東の権力が確立した中国共産党第七次全国代表大会から11年が過ぎた1956年9月、北京で第八次全国代表大会が開かれた。この本には、毛沢東を頂点に劉少奇、周恩来、朱徳、陳雲、鄧小平の序列からなる権力構造と文革までの党の基本路線(社会主義的改造の完成を確認し、生産力発展を目指す)を定めた同大会の重要文献を集められている。
収録されているのは毛沢東の大会開幕挨拶、劉少奇の政治報告、政治報告に関する大会決議、共産党党章、鄧小平の党章改定報告、第二次五ヵ年計画(58年から62年)決議、周恩来の同決議報告の7つの文献――こうみると一枚岩の団結のようだが、既に毛には劉に対して“含むところ”があったらしい。ならば文革の火種は、この大会に隠れていたのか。
「同志諸君、いま中国共産党第八次全国代表大会が開幕した」ではじまる毛沢東の挨拶は字数で2万7千字ほど。彼の口調を真似てゆっくりと読んでみると所要時間は12,3分。この間、「(拍手)」が13ヶ所、「(熱烈拍手)」が14ヶ所、「(長時間熱烈拍手)」が2ヶ所、「(全員起立し長時間熱烈拍手)」が3ヶ所ある。たとえば「いま我が党は過去の如何なる時期より団結している(拍手)」「国際社会における我われの勝利はソ連を頂点とする平和民主社会主義陣営の支持に依拠している(熱烈拍手)」「帝国主義が造りだす緊迫した情勢と戦争準備の陰謀を徹底して破産させなければならない(長時間熱烈拍手)」「今日、この場に出席している50数カ国の共産党、労働者党、労働党、人民革命党の代表に・・・熱烈なる歓迎の意を表す(全員起立し長時間熱烈拍手)」といった具合だ。
この一糸乱れぬ拍手というのが独裁体制下の政治文化の特徴だが、誰かの指揮で、それとも全員が阿吽の呼吸で拍手するのか。どちらにしても薄気味が悪い。だが、拍手を誘う台詞が大時代を感じさせて、なんともバカバカしく懐かしく楽しく微笑ましい。
バカバカしさついでに劉少奇の政治報告をみておくと、「依然としてアメリカ侵略者に占領されている台湾を除き、ここ百年来中国人民の頭の上にのしかかっていた外国帝国主義勢力は全て叩きだし、すでに中国は偉大なる独立自主の国となった」と切りだし、「外国帝国主義勢力の道具である官僚買弁資本家階級は、すでに中国大陸から消滅した。封建地主階級は、限られた地区を除き、すでに消え去った。富農階級もいま消滅しつつある。本来的に農民を貪り食ってきた地主と富農は、自立した新しい人間に改造されつつある。・・・国内の各民族は、すでに団結した友好的な1つの民族大家庭を築きあげた」と共産党政治の成果を内外に自讃し、最後を「我われの偉大な社会主義の事業は必ずや成功させなければならない。世界中の如何なる勢力も我われを阻止することは出来ない」と啖呵で締める。
あれから50数年が過ぎ、いま建国60周年に浮かれ返る。たしかに中国は「偉大なる独立自主の国とな」り、「世界中の如何なる勢力も我われを阻止することは出来ない」ほどまでに強大で尊大になった。だから劉が政治報告に託した予言は当った。だがそれは「偉大な社会主義の事業」が成功したからではないだろう。いまや「官僚買弁資本家階級」は跳梁跋扈し、「封建地主階級」ならぬ「地方幹部地主階級」の横暴な振る舞いは抑えきれない。加えてチベット族やウイグル族は「団結した友好的な1つの民族大家庭を」を拒絶する。
時の流れは残酷で滑稽なものだ・・・「同志們、辛苦了(同志諸君、お疲れサン)」。《QED》