【知道中国 1087回】                       一四・六・初五

――「車台はつねに黄土の煙幕に包まれる」(野上7)

「延安紀行」(野上弥生子 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 

黄陵県役所の壁の掲示版を見て、「饅頭を食べすぎて、お腹をおさえて苦しんでいる子供、盥にかがんで選択に精をだす若い女。それから蠅退治、色刷りのこんな絵と一緒に、ものを盗んだ男がすぐ見つかって追いかけられ、捕まって裁判される場面が描かれている。清潔励行、窃盗訓戒のポスターで、僻遠の地で行われている政府の素朴な教化ぶりが見られて面白い」と綴る。

 

素朴といえば素朴だが、文字の読めない農民には、これが最も効果的な「教化」の手段ということになる。

 

素朴な風の県長は野上ら一行の9人を「迎えるのを珍しがり、また愉しみ、なんとかして最善にもてなそうと気をくばっている」ようだ。「地層が地層で水は乏しく、井戸も遠いのであろう」。だが精一杯の歓待ぶりを示す。

 

先ず配られた洗顔用の湯で「顔の土埃りをわずかに洗い落す」。次でお茶、それからキャンディ。日頃は食事以外は口にしない野上だが、その習慣も破らざるを得なかった。それというのも、「風土的に夥しく摂取する必要のあるお茶のためである。――一合以上はたっぷり入るコップで十杯異常は飲むから、毎日一升化一升五合は飲んだろう――もしそうしなかったら、あの路上の黄土がひょうひょうと舞いたつように、私たちのからだも乾燥しきって、粉末になって飛散しかねない」からである。「お茶ぐらいでは洗滌しきれない咽喉に、まだ土埃りがこびりついている感じで咳きをしていた」ので、キャンディにも手を伸ばす。すると「唾液が和ごむ」のを感じた。

 

先に黄土に生きる農民を「むっと日向臭い黄土の粉末で肺臓をふくらませている」と形容していた野上ではあるが、わずか半日ほど、しかも車での旅行ながら、「ひょうひょうと舞いたつ」「むっと日向臭い黄土の粉末」には相当に手古摺ったようだ。

 

「ついに暮れて、晩御飯になった。電灯はない。三分芯ぐらいの、小さいほやだけのランプが卓上におかれ、料理がならんだ」。「料理は胡瓜のからし和え、青いんげんと肉のいためたもの、せんぎりの馬鈴薯、饅頭、栗のお粥といったもの」。貧しかった当時を思えば、精一杯の歓待ぶりが伺える。県長は「また私の隣で長い箸を動かし、相変わらず笑顔と手真似で、たくさん食べてくれるように頼む」。

 

「中国の陝西の奥地のこんな家で、こんなひとびととこんな会食を愉しむことが、曾つて夢にも考えられたろうか」と感激の態を示した野上は、続けて「国と国との交わりがまだ歪曲されたままであるだけに、政治、外交のじゃまだてを許さない、かくも和やかに素朴な親睦ですする栗の粥は、舌よりも心に一層暖かく快いものを浸みこませた」と綴る。

 

「中国の陝西の奥地のこんな家」における食事に「政治、外交のじゃまだて」が入る訳もないだろうに、態々大仰な表現をするなといいたいところだ。だが、こういった文章を書かせ、野上の読者に「国と国との交わり」を「歪曲」している原因が中国側ではなく、じつは日本側の岸政権の反動的な対中政策にあると思わせることが、中国側の狙いだったと考えられる。そうでなければ、野上の希望を入れて、「中国の陝西の奥地」への旅行を態々設えるわけはなかったはずだ。

 

「明くる朝は八時出発」で、一気に延安を目指す。ということは漢民族が始祖と崇め奉る黄帝を祀る黄陵参りは省いたようだ。中国側が敢えて日程に組み込まなかったのか。それとも野上が希望しなかったのか。かりに野上が「ひょうひょうと舞いたつ」土埃をものともせずに黄陵に赴き、当時の様子を記録していてくれたなら、先年訪れた折に目にした黄陵の現状と比較し、「中国の陝西の奥地」の変化が見て取れて面白かっただろう。《QED》