【知道中国 1085回】                       一四・六・初一

――「車台はつねに黄土の煙幕に包まれる」(野上5)

「延安紀行」(野上弥生子 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 

野上のふやけ、ふざけきった文章に接していると、いまさらながら小林秀雄の高い見識が思い出される。

 

昭和13(1938)年、硝煙の臭い漂う上海、杭州、南京、蘇州、満州を巡った小林は「満州の印象」に、「相手を征服するのに相手を真に理解し尽すという武器より強い武器は無い」と綴った。このうえなく身勝手で厄介極まりない「相手を征服する」つもりは更々ないが、やはり「相手を真に理解し尽すという武器より強い武器」を持つことは、我々が備えるべき必要不可欠な方策というものだろう。

 

すでに鬼籍に入ってしまっている野上を、無知蒙昧だと非難したところで蛙のツラになんとやら。だが、毛沢東=共産党による革命の原点としての「土地改革」において、黄土の民たちがどのように振舞ったのか。その一端に触れておくことは日本人の淡い中国理解、いや誤解を正す意味でも、また緊張の度を加えるはずの今後の日中関係を冷徹に捉え、イケイケドンドン一本槍の相手を読み切るためにも、些かなりとも意義があるはずだ。

 

そこで、四川省の地主の家に嫁ぎ、実際に土地改革を体験した日本人女性の福地いまが語る『私は中國の地主だった ――土地改革の體驗』(岩波新書 昭和29年)から、地主に対する当時の農民の振る舞いをみておきたい。

 

■「平常は農民の地主に對する不平不滿はかくされていて、冷たい平和があるのですが――それには地主階級がいつも不平不滿を爆發させないよう宗教とか、占いとか、學校とか、いろいろな方法で農民を靜に眠らせるようにしていますから、彼らはいつもまあまあと我慢しているわけです。ところが、何かのきっかけで、今囘のように革命の暴風が吹いて、農民達が眠りをさましますと、彼らの抑壓された不平と不滿が爆發して、對立が表面化して來るのだと思います」

 

■農民への補償金が「返せない地主は、農民からひどい鬪争を受けました。納税(上公糧)の頃はまだ地主の立場に同情していた農民も、いまでは彼等自身が地主打倒の立役者になっているので、思い切り意地惡く、地主階級に戰いを挑んで來ます。到る處に報復が、時には報復以上のものが跳梁していました」

 

■「地主の財産は農民のものをしぼりあげたもので、彼等の肉體でさえ農民の血で出來上ったものだ。しぼられたものはまたしぼり返さなければならない。だから、こんご地主を庇護して財物を隠匿した者は、地主階級と同樣に反動階級とみなして、遠慮なく銃殺する」

 

■「死刑の判決があってから、すぐ人民の前で執行します。みんなはそれを見ているのです」

 

■「農民達は『地主千人位殺すことは蟻一匹殺す程にも思っていない』とうそぶいていました。しかし、前に述べたように、刑罰を言い渡しはすでに政府の裁可があったわけです」

 

野上は「超人的な辛抱強さで耐えぬいた」農民を「まっ先に英雄的に立ち上がらせた逞しい力」こそ、「彼らの根源である大地の底から、あの呼吸を通じて摂取したもの」、つまり「黄土の粉末」だと綴る。だが、野上の綴る抽象的でデタラメで荒唐無稽なホラ話のように、農民が武器を手に革命に決起したわけでないことは、福地の回想からも判るだろう。

 

農民を突き動かしたのは恨みであり、その恨みを煽ったのが毛沢東=共産党ではなかったか。革命とは、そういうものだ。だいいち、野上が語るように「黄土の粉末」なんぞを吸っていたら咳込んでしまって、カクメイどころの騒ぎではないだろう・・・に。《QED》