【知道中国 1083回】                       一四・五・念八

――「車台はつねに黄土の煙幕に包まれる」(野上3)

「延安紀行」(野上弥生子 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

 

「八時十五分、発車。淡青く晴れた空の彼方に、昔ながらの城壁が森をまえに方形の狭間をつらねているのが見え、たちまち消える」。やがて目の前に現れた「キャベツ、細い竹の支えもそっくり日本と同じ胡瓜、菜っぱ、里芋」が植えられた畑を目にして、野上は「街の近郊らしくつくられた野菜類は、人種を等しくするものに通じあう味覚をおもわせて、いつも懐かしい」と、感懐に耽る。

 

「人種を等しくするもの」という表現を字義通りに解釈するなら、野上は日本人と西安郊外の農民とが同じ人種だと看做しているということになるだろう。野菜類から「人種を等しくするもの」か否かを判断するとは、余りにも飛躍、いやデタラメが過ぎる。やはり野上はコワレテイル。頭の中身を疑いたくもなる。だが、こう書けば、「人種を等しくするもの」であろうはずのない日本人と西安郊外の農民が「同種」だということになり、その間違った考えが、少なくとも日本の野上の読者の頭の中に刷り込まれてしまいかねない。

 

明々白々たる大仰な中国礼賛は、多くが眉にツバして受け取るから問題はない。だが、野上のような作家の文章は抵抗なく、サラッと受け入れられかねない。だからこそ大いに問題あり、である。文字によるサブリミナル効果とでも呼ぶべきだろうか。敢えて言論による“静かなる暴力”といっておこう。

 

西安を出発して7時間。「汽車はやっと銅川に辷りこんだ」。「ここは炭鉱町というだけに、途中のどの駅にもなかった田舎の工業地らしい活気がみられた」という。ここで西安から汽車で運んできた自動車とジープに乗り換え、「一方は山を削りおとした崖、片側は低い谷をうしろにして、ぼろ市のような小店で縁どられた道を」進んだ。

 

いまから数年前の延安旅行からの帰りに通過した銅川は、緑少ない黄土高原のなかに突如として現れた巨大な工場が立ち並ぶ工業都市だった。野上の見た牧歌的な風景は微塵も感じられず、工場の煙突から朦々と吐き出されるドス黒い煙は、環境破壊をものともせず金儲けに血道を上げる内陸部の典型的な都市の欲望の象徴であったように思えた。

 

野上の一行は「銅川でもこの辺は場末と見える」場所にさしかかる。「青物のざるを地べたにおいた八百屋、長い草ぼうきや、やかんの目だつ荒物屋、豚の臓物でも煮込んでいるらしい大鍋のかかった屋台、赤や青の原色でできあがった、既製品の子供服や切れ地を、汚ない日覆いの下にならべた店、中国のほこりっぽい田舎道では、なくてはならないものと私たちもすでに承知の、ふたつきコップになみなみとお茶を入れて売っている店」が並んでいる。「この場末の小汚い通りも、人間が群れ、ものを売る店でざわめく町らしいものの最後であった」。

 

やがて銅川を離れた一行は土埃の道を、今夜の泊りが予定されている80キロ先の黄陵を目指す。気温は30度を越す。雨の極端に少ない6月の黄土高原であり、ましてや舗装されていないデコボコな山道なのだ。「車台はつねに黄土の煙幕に包まれる」。「暑いのを我慢して窓をしめきっていても、シートの床のすきまから朦々と舞いこみ」、土埃で「着物や羽織が、見る見る黄いろの粉雪に覆われたようになる」。

 

「沿道にはたまたまささやかな部落が現れる。小さい子供たちは珍しい自動車、ジープに狂喜して叫び、手を振って見送る」。「それらの子供らにしても、生まれ落ちるから土埃まみれになっているのだ。むしろ人々は、その中から生まれ、漁夫が海の潮の香に生きるように、むっと日向臭い黄土の粉末で肺臓をふくらましている」と綴る。どうやら野上にとっては、「海の潮の香」と「黄土の粉末」とは同じものらしい。だが、「黄土の粉末」に満ちた肺が健康であろうはずがないじゃないか。やはり野上の頭の中身はオカシイ。《QED》