【知道中国 1080回】                       一四・五・仲八

――「そして治療は労働者は全部無料ですよ」(木下8)

「近くて遠い国、北鮮」(木下順二『世界の旅 8』中央公論社 昭和38年)

 

文学者の木下にしても、共同通信のジャーナリストの村岡にしても、その発言はおよそ文学者にもジャーナリストにも似つかわしくない。単なる政治的プロパガンダに踊らされた自動筆記機以外のなにものでもないことは、誰の目にも明らかだろう。にもかかわらず当時、木下やら村岡のダボラによって、北朝鮮が“地上の楽園”であることが華々しく喧伝され、空恐ろしくも我がメディアで大いに持てはやされていたのである。

 

だが、ウソは誰が口にしてもウソである。断じてウソである。決してそうとは思わないが、世間では名作の誉れ高い『夕鶴』の作者であろうとも、その人物の発言がすべて正しいわけがない。むしろウソに近い、いやウソそのものということだって少なくない。専門家は専門を離れれば素人同然、いや素人以下。にもかかわらず、その素人以下の発言が専門家の“権威”によって裏打ちされ、巧妙に商品化され、広く世間に流布される。

 

この繰り返しによって、やがてダボラは世間に定着し、権威を持った“定説”に変じてしまうカラクリ。これを言論の粉飾サギというべきか。いや、ウソを本当だと信じ込ませ、相手を想うが儘に操ろうというのだから、言論の「オレオレ詐欺」というべきだろう。

 

かく考えると、これまで見て来た米川、柳田、安倍、桑原、南原、宇野、本多、中島、中野など、一世を風靡した“進歩派”やら“良識派”の中国印象記は、まさに、それに当てはまるといっておく。あるいは、この列に大江健三郎、開高健、亀井勝一郎なども加えておきたい。

 

ともかくも、彼らが垂れ流した無責任極まりないホラ・ウソによって、毛沢東による独裁国家がバラ色の彩られた道徳国家に、金日成の北朝鮮が地上の楽園し粉飾されて伝えられたことは間違いなかった。

 

ようやく木下にとっての「きわめて充実した十日間の日程」も終わりを迎える。だが、やはり後ろめたいのか、「その間の見学は表通りを歩いただけのようなもの」であり、本当の庶民の生活に接したわけではなく、いいところだけを見せられて、感心しているという人があるかも知れない」と些か“反省の弁”を記す。だが、北朝鮮の現状からすれば「求めて欠陥を見ようとすることは、あまり意味がないようにぼくには思えます」との抗弁も。

 

やはり相手の指示のままに振る舞い、相手の説明をそのまま書き写した10日間だったということだろうが、トンだ「充実した十日間」であったことは確かだ。

 

北朝鮮から中国に戻るために新義州へ向かう列車の中で、通訳が「そらァ、現在の朝鮮は足りんとこだらけですよ」。「ただね、わたしたち朝鮮の人民には、来年はわたしたちの生活がどうなるか、さらい年はどう伸びるかということが、つまり、わかっているわけです。だからわたしたちは、こうやって苦しい中で希望をもってやっていかれるですよ」と語る。これに対し木下は、「いつわりのない実感をこめて語られた(通訳の)Mさんのこのことばは、ぼくのなかに自然にはいって来ました」と感想を持つ。

 

相も変わらずダボラを書き写す木下は、「この人たちは幸福だ、という感じが前後の脈絡なしにふといたしました。〔中略〕青空に向かって思い切り背をのばしている北半分の人たちも、だが南の平石が取り除かれない限り、朝鮮民族としての完全な幸福は持ち得ないわけだ」と綴る。木下の乗る列車は新義州を離れ、鴨緑江を越えて北京へ。

 

それにしても、「こうやって苦しい中で希望をもってやっていかれる」の一言に感激し、「この人たちは幸福だ」と軽口を叩き、「青空に向かって思い切り背をのばしている北半分の人たち」と思いっきりのヨイショ。だが以後の北朝鮮が辿った道を思えば、やはり木下は北朝鮮の幇間であり、無責任極まりない言論詐欺師でしかなかった・・・やれやれ。《QED》