【知道中国 1075回】                       一四・五・初八

――「そして治療は労働者は全部無料ですよ」(木下3)

「近くて遠い国、北鮮」(木下順二『世界の旅 8』中央公論社 昭和38年

 

やがて平壌行き列車の出発時間となる。「現実の朝鮮が通って来た戦中戦後の苦闘というものが、やっとだんだん現実感をもってぼくの中に入って来た」そうだ。

 

新義州から平壌への汽車の旅。「通訳接待のKさん」から一方的に吹き込まれたウソを、木下は書き続ける。たとえば、

 

■北からやってきた兵士は「ぜェんぶ朝鮮の人民軍でみィんな国産の軍服を着とるじゃないですか。みんな感激しちまって、当時の京城の人口は百五十万だったですが、三、四日の間にたちまち五十万の志願兵が京城とその周辺から人民軍に加わったですよ」

 

■「何しろ米一斗が南部朝鮮での相場では三千五百円するのが北部朝鮮では百五十円です」

 

■「李承晩の将校は女を二、三人も連れて街を歩いて、けんかをする、バクチをうつ。人民軍は田植まで手伝ってやって、街では街頭演説をやって、とにかくみんな感激しちまってですなあ」

 

■当初は朝鮮の民族主義者なのかにも「ロシアに反感を持っとったものもおったですよ。確かに。けれどもね、それからの十年間の実績で、ソ同盟に私心がないということがみんなわかったですね。工場をたててくれる病院をたててくれる。技術者を送ってくれる。この人たちァ朝鮮人とおんなじ給料で全く献身的に働いてくれてるですよ」

 

■アメリカは南部で朝鮮人に対し酷い仕打ちをしているが、「こっちは援助してくれるのはソ同盟だけじゃないです。ソ同盟の病院は平壌ですが、咸興にはポーランドの病院、鎮南甫にはルーマニアの病院というふうで、それがみィんな建築資材の壁にはる板から薬から医者から看護婦からそっくり向こうから持って来て建ててくれて、そして治療は労働者は全部無料です」

 

■「朝鮮の子供の、ことに戦災孤児は、各人民民主主義国にそれぞれ二千から三千ぐらいただで留学さしてもらっとるですよ。人民民主主義国の間にはまさに国境がないですね。そういうわけですから、われわれとしてもぼっとしちゃおれないです。いま朝鮮の人民はそらァ死にものぐるいで建設をやっとるですよ」

 

ソ連を「ソ同盟」とは、当時の時代環境を示していてじつに興味深い表現だが、そのソ同盟に加え、ポーランドもルーマニアも病院施設から医師、看護婦、医療機器、医薬品までを援助してくれる。そのうえに「各人民民主主義国」が大量の戦争孤児を「ただで留学」させている。かくて世界の「人民民主主義国の間にはまさに国境がない」。一方の南朝鮮では、李承晩とアメリカが人民を苦しみのどん底に落としている。

 

――「通訳接待のKさん」の話は、どれもウソ臭い。いやウソだ。これこそ“北朝鮮=地上の楽園”の原型だろう。だから“信憑性”を増すべくウソの上塗り、となってしまう。

 

「三十ぐらいに見えるKさんの精悍な顔には、しかし何かひとつかげりがある」。それというのも「南部朝鮮の山の中でパルチザン活動を三年間。捕えられて京城の監獄に二年。〔中略〕その間にすっかりからだを痛めた。人民軍に解放され〔中略〕妻子は南に置いたまま。『もう大方殺されてしまっとるでしょう』と、笑いにまぎらすような調子でKさんはいいました。〔中略〕われわれを接待してくれた六人の人たちは、多かれ少なかれみんなこれに類する経歴を持っていたようです」と木下が綴り、粉飾が施され、真実っぽく偽装される。

 

こうして「通訳接待のKさん」らがみせる“誠心誠意の応対”に、木下は洗脳されてゆく。そこで“最終兵器”の投入だ。「われわれのために、きれいな看護婦さんが一人、薬箱をかかえて新義州から乗り込んで来ている」。「きれいな看護婦さん」ですか。ほ~ッ。《QED》