【知道中国 410回】                一〇・六・念九

――養豚という大事業は神聖にして革命的なのだ
『独舞 養猪姑娘』(崔玉珠編舞 上海人民出版社 1977年)


 出版されたのは、四人組逮捕からちょうど1年が過ぎていた77年10月。その2ヶ月前の77年8月に開かれた第11回共産党大会で文革の終結が宣言された。とはいうものの、当時の北京の権力中枢の動向を思い起こせば、まさに渾沌と混乱の真っ只中。

 毛沢東に後事を託され、「英明なる指導者」と煽てあげられていた華国鋒にしても、党主席と党中央軍事委員会主席を兼務し最高権力を押さえているはずが、それは上っ面だけのこと。彼は毛沢東が口にしたこと、行ったことは全て正しいと主張する「2つの凡て派」と称する毛沢東原理主義派の頂点に立ってはいたが、その権力基盤は甚だ心許なかった。ゴ本人が「マルクスに見える旅」に去ってしまった以上、毛沢東に対し遠慮なんぞあるはずがない。ましてや暗愚の後継者など・・・。毛沢東思想の赤旗を担ぎながら毛沢東政治を否定する勢力は、華国鋒の首を虎視眈々と狙う。鄧小平再々復帰まで、あとわずか。

 そんな政治情況における出版だけに、表紙を開いても『毛主席語録』からの引用はない。文革期を通じて慣れ親しんだ『毛主席語録』からの引用がみられないのは甚だ寂しい限り。時代が確実に変貌を遂げつつあることを感じさせるに十分な体裁である。
「独舞」の2文字から想像できるように、この本は豚を飼う若い娘の日常を歌と踊りで表現した舞踊劇の脚本で、吉林省延辺朝鮮族自治州歌舞団の創作。つまり主人公は朝鮮族の若い娘なのだ。

 手や頭の位置、腕の構え、足の並び方、膝の曲げ具合、腰の高さ、舞台における位置取り、さらには衣装、小道具まで、イラストで細かく指示されているので、この一冊があれば――もちろん、歌と踊りの素養は必要だが――先ずは演技できそうだ。

 彼女は「真っ赤な太陽が燦々と養豚場を照らし、豚の群れは大きく育つ。養豚娘の心は熱く、どんな苦労も厭わない。心を込めた養豚こそが、尊い革命事業です。真っ赤な青春、党にぞ捧げ、養豚作業に栄光多し。輝く栄誉に充ち溢る。/主席の尊いお手紙の、一字一句を心に刻む。養豚事業は発展し、力の限りを養豚に。肥料は山と積み上げられて、見渡す限りが豊作だ。養豚作業に栄光多し。輝く栄誉に充ち溢る」と歌いながら踊りだす。

 夜が白々と明ける頃、清潔な豚舎に彼女が現れると、豚は一斉に親しみを込めてブーブーと声を挙げる。熱烈歓迎だ。彼女は餌を掬ってはエサ箱に入れてゆく。ところが2頭のイタズラ好きの豚は一向に食べる気配がないだけでなく、別の豚がエサを食べるのを邪魔ばかりしている。そこで2頭を別の豚舎に。

 輝ける真昼の太陽の下で、豚の群れは成長する。無限の喜びを胸に、彼女は毛主席の教えに従い、養豚事業に青春の凡てを捧げること熱く誓う。

 晩霞が山を赤く染めあげ、雀が塒へ戻る頃、子豚が1匹見つからない。必死に探すと、草むらの中でグッタリ。そっと抱き上げ注射し懸命に看病してやると、元気を取り戻す。彼女の腕から飛びでて、豚舎の中を元気よく跳ね回る。

 丸々と肥った豚の群れを眼にしながら、養豚事業に対する毛主席の尊い関心に思いを馳せれば、熱いものがこみ上げてくる。革命的養豚は気高く神聖な青春の大事業、だとさ。

 養豚娘はともかく、21世紀初頭の現在、世界の人口の5分の1を占める中国人が世界中で生産される豚の半分強を食べている。この現実こそ、空恐ろしいまでに革命的だ。  《QED》