【知道中国 405回】 一〇・六・仲八
――「為人民服務」から「為金銭服務」へ
愛国主義教育基地探訪(4-13)
改めて真正面から見ると、入り口の観音開きのガラスのドアを挟んで右側に中国共産党孫呉県教育委員会、左手には孫呉県教育局と孫呉県人民政府教育督導室の真鍮製看板――ということは、ここが孫呉県の教育政策・行政の“中央司令部”ということになるのだが、じつは左右を中国農業銀行支店、回民飯店(ムスリム・レストラン)、携帯電話修理センターに中古携帯電話販売店、通信器材販売店、女性下着販売店に挟まれ、加えるに上に演歌庁が控えている。教育とはなんとも似つかわしくない場所だ。
閉じられたガラス戸越しに中を覗いてみると階段しか見えない。ということは、教育委員会は演歌庁と同じ2階に置かれていると思われるから、愈々もって教育政策・行政に相応しくないだろう。階段への通路の右側の壁には大きく「教育局局風」と書かれ、その下に「学習 団結 務実 創新」の文字が並ぶ。左側の壁に眼を転ずると、「教育局工作人員標語」とあり、その下に「儀表端荘有風度 態度和諧有礼貌誠実熱情有信用 委曲求全有度量 迅速准確有効率 環境清潔有秩序 語言文明有涵養 按章弁事有規律」と麗々しく書いてある。教育局工作人員ということは、ここで教育行政策・行政を執り行う幹部や職員にとって「局風」は業務執行上の大きな目標であり、「標語」は日常業務執行に当たって常に拳々服膺すべき注意とでもいうべきか。
禁止(そうするな)と願望(そうしたい、そうなりたい)を表現したものがスローガンだと考えれば、教育局工作人員には風度(風格)、礼貌(礼儀)、度量、信用、効率、秩序、涵養(寛容)、規律という“徳目”が欠如しているということになる。
だがスローガンというものは、往々にして書きっ放し、読みっ放しの運命にある。そうならそうで、こんなに詳しく書く必要もなかろう。標語の7文字×8句=56文字は、たったの5文字で云い表せるはず。そう。毛沢東時代の24時間365日、全国民が唱和した「為人民服務」である。
「為人民服務」の5文字の中に、「局風」の8文字、「標語」の56文字が表現するすべてが込められているように思う。かりに「為人民服務」の精神が根付いていたなら、いまさら改まって「局風」も「標語」もないだろう。中国人を全身全霊で「為人民服務」を体現しようとする人民に翻身させとした毛沢東の試みは、やはり壮大な徒労でしかなかった。
翻身とは、「為人民服務」と同じように毛沢東の時代に盛んに使われたことばであり、本来は身も心も生まれ変わるという意味だ。毛沢東は、全ての中国人を滅私奉公・自己犠牲の塊のような社会主義的聖人君子に生まれ変わらせようとしたわけだ。だが、とどのつまりムダ骨だった。「為人民服務」も、口先だけにすぎなかったのだ。
こう歴史を振り返ってみると「局風」も「標語」も、人民の「心、此処二在ラザレバ」こそ、「為人民服務」と同じ運命を辿る可能性は大だ。言いっ放し、書きっ放し、やりっ放しこそが、彼らの「局風」「標語」であると考えるなら、なにやら合点がいくだろう。
だが、かりに教育局が事務所の一部を演歌庁に貸す、いや副業として演歌庁を経営していたと考えるなら、「局風」も「標語」も十分に納得できる。風度(風格)、礼貌(礼儀)、度量、信用、効率、秩序、涵養(寛容)、規律はサービス業にとって必要不可欠デス。ならば、教育局玄関の上に演歌庁の看板が掲げられていたとしても不思議ではない。 《待続》