【知道中国 400回】                    一〇・六・初六

――満洲国警察官10万余への鎮魂歌
『満洲国警察小史』(加藤豊隆 満蒙同胞援護会・愛媛県支部 昭和45年)



 この本は、2つの異なった出版元から3冊構成で出版されている。同じ書名ながらそれぞれに副題がついている。「満洲国権力の実態について」は財団法人・満蒙同胞援護会の愛媛県支部が、これを引き継いだ形の「(第二編)満洲国の地下組織について」(昭和49年)、「(第三編)満洲国の解体と警察」(1976年)の2冊は、元在外公務員援護会の出版だ。

 著者は満洲国国立哈爾浜学院特修科、慶応大学文学部、中央警察学校などで学び、哈爾浜市警察局に勤務。5年間のソ連抑留を経て愛媛県参事、総理府事務官などを歴任。

 著者によれば、「『満洲事変』の立役者であった甘粕正彦らの創建にかかる」満洲国警察は、「今日のわが国でいう海上保安・消防から建築・風紀・衛生などの取り締まりにいたる広範な行政を担当しており、それは実に満洲国行政の中核であった」という。そして「この大組織を構成する警察官は、全員が『警察官は王道具現の先駆たるべし』『警察官は民族協和の中核たるべし』(満洲国警察綱領)の気構えのもとに満洲国行政の第一線をになってきたものである」が、「昭和二十年関東軍敗退後、微力をもってソ連赤軍の大軍を迎えうち、これと斗い悲惨な犠牲を蒙りつつも、同胞の救出に全力をそそぎ、みずからは逃げおくれ、総務総局長星子敏雄以下組織の大部分が短きも三年、長きは十八年に及ぶ長期抑留・投獄・強制労働などのため再起不能の重傷をおい、あるいは故国の土を遂にふむことなく異境に憤死するなど言語に絶する苦杯をなめてきた」。

 これまで、五族協和・王道楽土建設という壮大な夢から今日の残留孤児まで、《満洲》については、様々な視点から多くが語られてきた。だが満洲国警察については、ナゾのままに捨て置かれていたように思える。かくて著者は、「『満洲国警察小史』はその実態を語ろうとするものである。すべて具体的なデータにもとづいたが、この『小史』によって、従来ナゾにつつまれていた現代史の一コマがすこしでも解明でき、かつ、犠牲となられた数千の英霊及び恐らく一日として涙のかわくことのなかったであろうご遺族にとってわずかのおなぐさめともなれば望外の倖である」と、本書執筆の動機と目的を明かす。

 3冊総計で1,000頁に近い本書には、満洲国警察の創建から崩壊までが「具体的なデータにもとづい」て詳細に記されている。それだけに事実が語る迫力には圧倒させられる。

 ことに酷寒の原野で繰り広げられた外蒙やソ連との国境紛争、徹底抗戦を繰り返す金日成や楊精宇ら共産軍や抗日勢力に対する終わりなき討匪作戦、広大な大地に展開された宣撫工作など、時に慄然と、時に粛然とせずには読み進めない個所もしばしば。
だが、圧巻は「(第三編)」の「第二部 ソ連軍の侵入と満洲国警察の解体」と「第三部 日本降伏後の邦人の悲惨」だ。ことに付録として納められた「三江省佳木斯市既住邦人未帰還連名簿」、「西科中旗関係等知人消息名簿」、著者のために資料を提供した「資料提供者名簿」などに記された一人一人の名前と簡単な消息を追うだけでも、人々の苦闘が浮かび上がってくる。

 たとえば「某 明41生 本籍・熊本 20・8・2 佳木斯市にて夫ソ軍に拉致後自決又は殺されたと思う」「某 昭8生・・・20・8・12 父ソ連に拉致後死亡と思う」「西科中旗国境警察隊長 邦人の密告により西大廟に於てソ軍に逮捕されソ軍司令部に送致」「興安総省警佐 (ソ軍)戦車群を縫って行くを遠望す。戦死の報」・・・涙は尽きない。  《QED》