【知道中国 398回】 一〇・六・初一
――「中ロ双子城」から「一区両国」へと変貌するのか
愛国主義教育基地探訪(4-07)
厚い氷の張る時節はホーバークラフトで、氷が溶けたら船舶で結ばれる黒河と対岸のブラゴヴェシチェンスクの関係を、中国側は「中ロ双子城」と呼ぶ。ここでいう「城」は「城市」、つまり都市を意味する。だから「中ロ双子城」という表現は、いずれ2つの都市を1つにしてしまえという構想にも繋がるとも考えられる。なんせ彼らは利に敏く、時にセッカチが過ぎるのだ。利を前にしたら、「無原則」という大原則が唸りを上げて動き出す。
中ロ国境線の長さは全体で4300キロ。黒龍江省が抱える3000キロほどの国境線には、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ類と交易規模に応じていくつかの「口岸」と呼ばれる国境関門がある。最大級のⅠ類は2都市で、黒河に加え、黒龍江省の東端に位置し極東ロシアの要衝で知られるウラジオストックとナホトカに近い綏芬河だ。92年、中国政府は黒河を辺境経済合作区に指定する一方で、綏芬河を中国最初の沿辺開放都市と位置づけた。じつは88年、黒龍江省政府は綏芬河を通貿興辺試験区としているが、黒龍江東端を東に向かって開きウラジオストックとナホトカを経由して、日本、韓国、アメリカなどと結び辺境を対外交易の最前線に変貌させようとしたのだろう。
通貿興辺試験区から辺境経済合作区へと省レベルから国家レベルのプロジェクトへと格上げされた綏芬河開発は、さらに国際レベルに格上げされる。99年6月、中ロ両国政府は綏芬河を「中ロ互市貿易区」と指定した。それというのも、綏芬河はロシア側国境の街であるポクラニーチナヤとはわずかに21キロしか離れていないからだ。いわば綏芬河とポクラニーチナヤとの関係は、もう1つの「中ロ双子城」でもあるわけだ。ここに目を付けて、土地を買い漁り不動産開発を進めたのが、遥か南の広東生まれでオーストラリアからUターンし中国最大級の不動産集団である世茂集団にのし上がった許栄茂だ。
02年2月には、両国は綏芬河とポクラニーチナヤとを一体化する「綏・ポ貿易総合体」を発足させている。この経済協力システムを香港やマカオで行われている「一国両制」に因んで「一区両国」と呼ぶそうだが、国家統計局によれば、以後、綏芬河市は全国百強県(市)入りし、総合経済力では黒龍江省内の県(市)のなかでトップ・クラスを維持している。もちろん、許栄茂の懐が大いに潤ったことも想像に難くない。
先んずれば人を制す、である。許栄茂の成功に倣って、黒河の土地を買い漁っている不動産業者がいたとしても、いや、いなければおかしい。いないわけがないだろう。
そういえば国境口岸事務所ビル前の駐車場、ということは事務所ビルの真正面であり、ここから入国するロシア人が真っ先に目にする場所に、豪華マンション、瀟洒なタウンハウス、繁華街のショッピング・モールなどの巨大な不動産広告がびっしりと並んでいた。凡てロシア文字。漢字は1字も見当たらない。ロシア人向けであることは確かだ。黒河のマンション価格は1平米当りブラゴヴェシチェンスクの5分の1程度で200ドル前後とか。そこで黒河側業者はロシア人専用の不動産物件を用意する。
年間で30万人を超えるロシア人が黒龍江を渡り、ロシアより値段の安い日用雑貨や電化製品を購入しているとか。1人当たり手荷物は50キロまで免税だそうだ。
たぶん、この街にも「一区両国」を狙っている関係者が蠢いているに違いない。《待続》