【知道中国 396回】 一〇・五・念八
――誰かが土地を買い占めているのでは・・・
愛国主義教育基地探訪(4-06)
黒河の街を歩く。最初に目に付いたのが「俄羅斯(ロシア)商品街」のアーケードだ。ここでは並木道に広い歩道が続き、ブーツを履いたロシア女性も目に付く。「韓国現代 世界500強 黒河市専売」の看板を掲げた家電量販店に加え、何を売ってるのかは判らないが「韓国商品」の看板を掲げた商店も見られる。もちろん漢字の下にはロシア文字が大きく書かれている。韓国は、ここまで進出しているのだ。
黒龍江沿いの道を下流に向かって暫く進み橋を越えると、そこが黒龍江にせり出たような中洲の大黒河島。大黒河島国際貿易と中俄自由貿易城と名づけられた2つの新しくて巨大なショッピング・モールがあり、そこの高い外壁の上から下げられた「協進中俄辺民互市貿易繁栄発展(中ロ辺境人民の交易市場を共に繁栄・発展させよう)」「構建中俄商品交易批発集散大中心(中ロ商品交易卸売・集散大センターを建設しよう)」などのスローガンが、嫌でも目につく。大黒河島国際貿易裏手の駐車場を挟んで黒龍江の流れを背にして大きな口岸(出入国管理・税関)事務所ビル置かれている。さすがに中ロ辺境貿易基地だけあって、なにやら国境の街の雰囲気が伝わってくる。
大黒河島国際貿易ビルに入る。日用雑貨、おもちゃ、衣料、ニセCD、コンピューター、家電製品、バイク、はてはブルドーザーなどの大型建設機材まで、まさに生鮮食料品以外のありとあらゆる中国商品が展示・販売されているのだが、閑散としている。昼間だというのに店仕舞い状態の店舗が珍しくない。それでも裏手に回ると、バイク店で店員とロシア人客とが中国語混じりのロシア語を使って大声で商談中だった。
駐車場の端から道路を越えると、そこが黒龍江の川岸。水辺まで歩き手を入れてみると冷たい。それもそのはず。数メートル先はまだ分厚い氷が張っていて、それが向こう岸まで続いている。もうすぐ5月だというのに、約750メートルの川幅の大部分は凍っているのだ。その先に見えるのが、アムール州の州都とで極東ロシア第3の都市であるブラゴヴェシチェンスクである。人口は20万強。20数校の大学を持つ学園都市でもあり、黒河側の裕福な家庭の子女が留学する例もみられるとか。
中ソ論争がエスカレートし、双方が国境線に沿って大部隊を動員して4300キロに及ぶ長い国境線で緊張を高め合っていた時期、ことに69年、双方が数10万規模の大兵力を展開してダマンスキー島(珍宝島)において激しい武力衝突を繰り返していた時期、この一帯もさぞや緊張していたことだろう。
ところが、である。82年、中国政府は固く閉ざしていた黒河口岸を北に向かって積極的に開放し、対ソ国境交易を再開することとなった。遥か南の香港に接する深?で鄧小平が「南巡講和」を口にして天安門事件で頓挫しかけた改革・開放路線を再始動させた92年、北の果ての黒河は国家級の「辺境経済合作区」に指定され、対ロ経済交流と輸出工業の中心都市へと変貌を遂げる。かくて黒河市と対岸のブラゴヴェシチェンスク市は中ロ辺境貿易の重要拠点の1つとなったのだ。双方の間を隔てるのは、最短部分でわずか750メートルばかりの黒龍江の流れでしかない。となると、双方を橋で結んでしまおうと考える野心的なプランが浮かんだとしても決して不思議ではない。 《待続》