【知道中国 393回】                      一〇・五・念一

強欲資本主義の荒波は国境(くにざかい)の街にも押し寄せる
愛国主義教育基地探訪(4-05)



 下放された元紅衛兵のその後だが、なかには都市に戻れず、泣く泣く農村娘と結婚し農民にならざるをえなかった者も少なくなかったようだ。これまた文革の後遺症というほかない。生まれた時代を恨みながらの農村暮らし。そんな元紅衛兵は、黒河一帯にもいるはずだ。

 いよいよ車は黒河の中心街へ。

 満州国時代、この街には黒河省の省公署が置かれ、黒河駅から黒龍江までの中心街には満鉄病院、日本人学校、?琿警察本隊、梅園書店、国際運輸、ときわ旅館、食堂の一彦、松屋旅館、カフェーの丸よし、芸者置き屋の美の屋、ロシア料理の東洲飯店などが軒を並べ、街外れには黒河神社もあったというから、日本そのものだったわけだ。もちろん国境の街だけに、侵入するソ連スパイなど敵性分子摘発のための満州国警察特務科アジトも。

 昭和20年8月9日14時00分、黒河省公署は同省警務庁に対し、「極東ソ連軍越境侵入開始し、日ソ開戦となる。当面、黒河街がソ連軍による激しい攻撃対象とされており、公署付近も炎上中。直ちに戦闘警備体制にいられたし」との緊急指示を行い、次いで15時00分、村井矢之助黒河省省長は管下の各県副知事に対し「本日、日ソ開戦に入れり。余はこれより孫呉に赴く。貴下並びに職員一同の武運長久を祈る」との指示を下す。

 この街で、いったいどのような戦闘があったのかは不明だし、当時の面影の片鱗すら感じられない。ここも建設ラッシュであり、道路は掘り返されぬかるみ、軒を連ねる老朽家屋の壁という壁には丸に「折」の文字が記され、解体を待っている。いずれ高層ビルが建設されることだろう。

 目にする看板は必ずと言っていいほどに漢字とロシア文字で書かれている。さすがに対ロ国境貿易最前線の街である。ふと目に付いたレストランの窓ガラスには、赤い紙に金色の文字で人材募集広告が張られていた。たとえば、こんな条件だ。

 ウエートレス=基本給:1200元、皆勤手当て:80元、福利手当て⇒総額:1600元

 テーブル片付け=基本給:1000元、皆勤手当て:80元、福利手当て⇒総額:1080元
 (30歳から40歳の女性に限る)

 このほか、ドア・ボーイ、料理運び係り、バーテンなどがあるが、最低は掃除係りの850元ということだ。さらに条件が書かれていて、どの職種も有給休暇は1ヶ月当たり4日半。休暇でも働いた場合は、日割りで基本給の50%を支払う。さらに食住を提供するだけでなく、散髪(美容院)と入浴切符も支給と記されている。隣の店では、月給900から1000元で餃子職人を、850元から900元で皿洗いを募集していた。ともに皆勤手当ては80元で、1ヶ月2日半の有給休暇。半年後には50元、1年後には100元の昇級を認めるとあった。

 この人件費が高いか安いのか。黒河の平均相場が判らないので判断のしようもないが、じつは昨年、唐山のファミレスの店先でみた募集広告では、ウエートレスの月給は900元とあった。唐山は北京や天津の近郊だが、黒河は黒龍江省の外れ。一方が万里の長城の内側なら、一方は最果ての国境の街。にもかかわらず黒河の方が断然好条件だ。ということは、沸騰する経済の最前線は黒河までも押し寄せてきたということだろうか。(待続)