【知道中国 1071回】                       一四・四・三〇

――「大中国は全国土、全人民をあげてわき立っている最中なのだ」(中野14)

「中国の旅」(中野重治『世界の旅 8』中央公論社 昭和38年)

 

とどのつまり朝鮮戦争は、金日成の朝鮮半島を我が手に握りたいという妄想、スターリンの野望、毛沢東の山っ気、李承晩の他力本願、マッカーサーの傲慢、ホワイトハウスの大油断とが複合的に引き起こした戦争でこそあれ、中野が力説するような「新規の日本の犯罪」でもなんでもないことは明かだろう。

 

にもかかわらず、「新規の日本の犯罪」などと公言するということは、中野もまた「愚ニアラザレバ誣ナリ」――あんなにアホなことを言うというヤツは、本人が余ほどのバカか、世間をバカにしているかのどっちかだ――の類だろう。もっとも当時、中野はレッキとした日本共産党員だったはずだから、“鉄の規律”で雁字搦めに縛られていたということも十分に考えられるから、致し方のないことかもしれないが。

 

朝鮮の戦場に赴いた一人息子は、「革命犠牲/軍人家族 光栄記念証」という一枚の紙を残して命を落としてしまった。後に残されたのは老夫婦のみ。そこで中野は「あのときもう少し時間に余裕があれば、通訳の王さんがゆっくりと傍にいてくれることができたとすれば、そんなら私は少しはマシな挨拶を老夫婦にすることができただろうか」と自問し、「そうは思えない」と否定してはいる。

 

それはそうだ。朝鮮半島の持つ複雑極まりない地政学的条件と、それを見据えての金日成、スターリン、毛沢東、李承晩、マッカーサー、ホワイトハウスの思惑を度外視しては語れない朝鮮戦争における名もなき犠牲者の遺族の前に、日本では有名かもしれないが中国では誰も知らないような中野重治がヒョッコリと登場し、「新規の日本の犯罪」を詫びられたうえに悔やみの言葉をいわれたところで、やはり戸惑うしかないだろう。

 

その昔の流行語ではないが、「同情するならカネをくれ」である。中野の自己満足なんぞ、一人息子を失った老夫婦にとってはなんの役にも立たない。莫明其妙(チンプンカンプン)以外のなにものでもなかったはずだ。

 

にもかかわらず、中野は、「日本と中国との二千年に近い関係のなかでは、最近五十年間の不幸な歴史は束の間のものに過ぎない。それは忘れましょう。そして平和なこれからの関係を作り出していきましょう。そういった言葉はそれなりに受け取るべきものであり、また受け取ることが(日本人としても)できるだろう。しかしそれを現に受け取っている日本人われわれが、日本人と日本人の技術と日本の国土とを今日現在どう使っているかに結びつけては、少なくともあのとき、時間があったにしても私には挨拶の言葉も見出せなかった。老夫婦に慰めの言葉をかけるというようなことは、そのときの私には考えることもできぬことのように思われていた」と、愚にもつかぬことを書き連ねる。

 

この種の、客観情況に無頓着で過剰なまでの自己満足こそが、戦後の日本人の中国認識を大いに歪めたといえるだろう。それだけではない、そういった日本人の態度が中国側に付け入る隙を与えてしまった。その点を衝いて、中国側は対日世論工作を巧妙に仕掛ける。

 

戦争当時、あの場所には「日本軍が屯してあのエレベーター下の地下室を拷問部屋に使っていた。そして毎日のように街から男たちが引っ張られてきて・・・・・といった話」、某所には「登部隊の司令部があって、そうして・・・・・といった話」、別の某所では「あのA教授が支那派遣軍経済特別顧問の名で妾と一しょに住んでいて、そうして・・・・・といった話」を、「私はひとつも知らずに中国へやってきていた。そして中国人の口からもひとつもそんな話がでなかった」。

 

だが「とにかくそういう犯罪の跡」へ案内され、初めて「そういう犯罪」を知る。「ひとつも知らずに中国へやって」きたから、それを信じ込まされてしまうことになる。《QED》