【知道中国 1045回】 一四・三・初六
――「全行程を通じて、三びきのハエを見ただけであった」(中島20)
「点描・新しい中国」(中島健蔵 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
いつまでも中島の寝惚けた感想文に付き合っていても虚しくなるばかり。詮ないこととは思う。だが、肩書に進歩的やら革新的やらの“定冠詞”を載せて、当時の日本社会を肩で風切って歩いていた偽善者共の悪行の数々、いいかえるなら彼らの精神の瓦礫をしっかりと見届けておくのも、これからの日中関係を考えるうえで大いに参考になるのではないか、とも考える。それというのも、中島の亜流のような日本人が、今なお、生息しているからである。
さて中島だが、「北京の秋の空は美しかった。わたくしは、わずか三、四日で、この都会の空気になじんで来ている自分を発見した」と、予め定められた任務に沿うかのように、「いかにも平和な空気」に溢れた北京の街並みを伝えようと努めた。悲しいばかりにケナゲで滑稽である。
■露店は「夜ふけまで開いている。地理がよくわからないのに、夜、歩いても不安を感じない」
■「朝は、職場に通う人々の大群である。自転車を使っている人が多い。要所要所に立つ交通整理の警官の士気に従って、自転車の群が待機し、やがて一斉に走り出す」
■「天壇にも、北海公園にも、明十三陵にも、頤和園にも、漫歩したり、遊んだり、休息したりしている人が無数にいる。天壇の皇乾殿で見た孤独の老人や、頤和園の長廊を歩いていた三人組の“老北京”などは、へいぜいもそれほどいそがしく働いていそうにも見えなかった」
■「北京の市街は、新しい道路、大建築、郊外の発展など、目ざましい新しさにみちているが、それにもかかわらず、目まぐるしい気もちを起こさせない」
■「道路新設の工事の時には、立ちのきをいい渡された住民の間にはかなりの不平不満も起こったという。しかし、その家とは比較にならないような近代的で便利なアパートをその人たちに提供することによって、問題は一ぺんに解決したという。また、美しい古い胡同(横丁)も、地区を選んで保存する計画だという」
■「公衆便所も水で洗い流されているし、ごみなどは全く見当たらない。住民の公徳心が高いだけではなく、たえず掃除がおこなわれている。市街の清潔さは東京などの及ぶところではない」
■「今では、大ていの職業人が“服務員”なのである。商店の服務員の態度も“売ってやる”という荒っぽさがない。相手の名がわからない時には“同志”と呼び合っている」
■「確実なのは、現在では、中国の方が、日本よりもハエが少ないという事実である。だから、日本には、現在の中国よりもたくさんのハエがいるという事実を発見する方が、ずっと気がきいていると思う」
■「中国にもたしかにハエはいた。しかし、全日程を通じて、三びきのハエを見ただけであった。旅客機の中で発見した一ひきのハエを、中国の衛生に対する一つの貢献として、わたくしは遠慮なく圧殺した」
――以上、もはや何をかいわんや、である。
中島は「旅客機の中で発見した一ひきのハエを、中国の衛生に対する一つの貢献として、わたくしは遠慮なく圧殺した」と、自らの“決然たる行動”を開陳する始末だ。だが、その自慢げな口吻に、苦笑を通り越して、同じ日本人ながら情けなくなってくる。些か古い話だが、往時の上方お笑いの大御所であった花菱アチャコ在世なら、必ずや「あほらしいやら、情けないやら、ほんまに、んも~、ムチャクチャでゴザリマスるがな~」と。《QED》