【知道中国 386回】                 一〇・五・初六

――いまこそ思い起こせ「我われの偉大な時代」を・・・
『紅色的道路』(寧宇 上海人民文学出版社 1973年)



 冒頭の「内容提要」が「著者は満腔の政治的熱情を込めて我われの偉大な時代と時代の主人公を高らかに讃える。工業戦線の目を見張るような躍進を描き、広大な砂漠を緑豊かな沃野に変える壮麗な事業を歌い上げ、製鉄所の労働者、造船所の工員、海辺の漁民、開墾兵士の溌剌とした様を克明に記す。作品は絢爛多彩な生活を活写し、ことばは華麗に鍛え上げられ含蓄深く、深甚な意味を映し出す」と説明しているように、この本には労働者の雄々しく働く姿や社会の劇的な変化を讃える長短51編の詩が収められている。

 とはいえ、以上の評は大袈裟に過ぎるというもの。その多くが社会主義クソ・リアリズムとしかいいようはなく、いささか冷静になって読み返せば噴飯モノ。大の大人が恥ずかしげもなく・・・といいたいところだが、なかには意味深く感動モノ、いや涙なくしては読めない作品がないわけではない。その代表が「拾え!一寸の鉄、一寸の鋼」と題された作品だ。1960年8月の上海での詩作ということだが、なにはともあれ拙訳を。

 「手のひらに一筋のくすんだ光、一寸半ばかりの針金を甲板に捨てる――嗚呼、また掴んでしまう、今度は鋼板の切れ端か、ポイッと捨てる。/「拾え!」、師匠の罵声に慄き、怒りの眼光に射すくめられる。厳命に似た口調、まるで十トンの鋼鉄の重りのように、わたしの心に圧し掛かる。/拾え! 一寸の鉄、一寸の鋼。/船台の下、高炉の前、機械の脇で・・・我らが驕り高ぶる心が気儘に捨て去り、幻としてしまった数多の鋼鉄工場。/拾え! 一寸の鉄、一寸の鋼、滔々と波打つ稲の海、麦の波は、鋼の鋤、鉄の鍬を呼んでいる。新たに見つけられた油田は、鋼鉄の掘削機を求める。/嗚呼、壮麗なり、共産主義のビルディング、鋼の柱を、鉄の梁を。一寸の鉄、一寸の鋼、それを溶鉱炉に投げ込め、労働者から迸る魂の汗、真っ赤に溶ける鉄、高鳴る胸の時めき・・・/恥じ入りながら針金を拾い、またペンチで掴む。一寸の鋼を溶鉱炉に、残った半寸をも、溶鉱炉に還そう!」

 1958年に毛沢東の大号令の下で始まった大躍進政策は程なく破綻し、前後3年間で中国に4000万人といわれる「非正常な死」をもたらす。餓死である。いまは、その責任の全てを毛沢東の暴政に負わせようとするが、如何に暴君とはいえ、彼1人の責だけで負えるものではない。中国人が諸手を挙げて馳せ参じ、鉦や太鼓で沸きあがったことが毛沢東の背中を強く押し、国を挙げて悲劇の道を突き進んだということだろう。

 当時、毛沢東の鉄鋼増産の大号令に呼応し、国民は鍋や釜、窓の鉄枠まで供出して、「土法炉」と呼ぶ手製の溶鉱炉もどきに放り込み、裏山の木々を伐って燃やし鉄を作った。これで、まともな鉄が出来るわけがない。四川省では住民が火葬場に押しかけ、溶鉱炉代わりに使わせろと捻じ込んだ。溶鉱炉としては使えないと抵抗する職員は、「お前は毛主席の教えに背くのか」と反革命分子として吊るし上げられた、とか。涙なくしては語れない笑い話そのものの愚行が、全土でみられたらしい。この詩も、そんな笑い話の1つだろう。

 落ちている針金を拾い溶かしたところで油田の掘削機やビルを支えるような良質の鉄骨ができるわけがない。なまくらな鋤や鍬が関の山だ。とはいえ「一寸の鉄、一寸の鋼」を捜し求めて地を這いずり回ったであろう時代から半世紀ほど。現在の中国は食糧から資源までを欲望のままに爆食中だ。あの時代のモッタイナイ精神が、無性に懐かしい。  《QED》