【知道中国 379回】 一〇・四・仲六
――嗚呼、そんな時代もありました・・・
『撃砕美日反動派的迷夢』(人民出版社 1971年)
副題に「評日本反動影片《山本五十六》《日本海大海戦》和《?、海軍》」とあるように、戦争を扱った日本映画に“難クセ”をつけながら「美日反動派」、というが実際は当時の日本を批判しようというのが、この本の狙いだ。それしても、「反動派的迷夢」を「撃砕」するとは穏やかではないが、物騒な書名を掲げるだけあって、その主張は勇ましいかぎりだ。
冒頭に「帝国主義の豺狼ドモはしっかりと覚えておくべきだ。お前らが人類の命運を自分の都合で差配したり、アジア・アフリカの国家を得て勝手に分割した時代は、もう二度と還ってくることはない」(『毛主席語録』)を掲げ、「60年代末、70年代初頭、日本の銀幕上には注目すべき現象が現れた。往時の日本の帝国主義侵略戦争を称賛し、戦争犯罪人を美化する映画が次々と上映されるようになった。『連合艦隊司令長官山本五十六』、『日本海海戦』、『ああ、海軍』が代表的な三作品である。/これらの反動性が透けて見える映画を撮影するため、日本の独占資本集団と佐藤反動政権は巨額の支援を惜しまず、駐日米軍と日本の“自衛隊”もまた全面的支援を実施した。これらの映画は米日反動派の推奨を受け、あるものは日本文部省の“推薦作品”にまで選ばれたほどだ」と非難攻撃の開始、である。
次いで、極めて伝法な口調で「どうやら日本反動派は我を忘れ、得意満面に自らが妄想するカラー映画の幻影の中に陶酔しているようだ。まあ、いいだろう。これから我われが、それがどんな代物なのかを満天下に曝してやるから、見て置け」と突っかかってきたかと思うと、続けて「僅かな指摘だけでも明確に見て取れる。これらの映画は日本軍国主義復活の明確な罪証であり、日本とアジアの人民の眼前に置かれた格好の反面教材である」と。
反動派は、これらの映画で「大日本帝国の幽霊」を蘇らせようとするが、歴史的歪曲に満ちたものであり、アジア人民に対する挑戦だ。「現在の世界において、一切の文化あるいは文芸は特定の階級、特定の政治路線に属するものである」(毛沢東)。だから、これらの映画は、日本を盟主とする「太平洋新時代」の構築を目指し、かつて潰えた「大東亜共栄圏」の迷夢を再現しようと狙っている日本の反動階級・反動的政治路線に従属している。
これらの映画は対外侵略を「開拓精神」と吹聴し、日本軍国主義のために命を捨てる「武士道」なるものを大いに讃美し、あの時代が「日本の盛時」だったと日本人民を騙し、「江田島精神」を持ち出し軍国主義の中核部隊構築を目指す一方、反動派は「日韓安全一体論」「マラッカ海峡防衛論」を掲げ、日本軍国主義による復仇を声高に絶叫する。
だが「日本と世界の人民のなかに滔々と湧き起こり尽きることのない革命の潮流は、反動派といえども押しとどめられない。暗黒の時代は終わり、眼前には曙光が射す。
『日本人民が希求する独立、民主、平和、中立の願いは、必ずや実現する』(毛沢東)」で、THE END。
――よくもまあ、ここまで難癖をつけられるものだと感心するばかり。弱い犬ほどよく吠えるというから、あの当時、これだけ言いたい放題だったということは、彼らは自らが弱いと秘かに自覚していたに違いない。日本に対する現在の居丈高な態度は、過去の反動である。それにしても地球規模でなりふり構わずに資源漁りを繰り返す現在の中国人に、「お前らが人類の命運を自分の都合で差配したり、アジア・アフリカの国家を得て勝手に分割した時代」ではないと、毛沢東の“有難い教え”を聞かせてやろうではないか。 《QED》