【知道中国 377回】                           一〇・四・一〇

――苦笑、哄笑、失笑、嘲笑、忍笑・・・やはり笑止千万だ
『談談社会主義企業管理』(宮効聞等編写 上海人民出版社 1974年)



 「確固とした企業管理は、工場企業の広範な労働者と幹部が常に関心を払わなければならない問題である。だが企業管理に正しく向き合うためには、マルクス主義政治経済学の原理を学習し体得しなければならない」。だから、この本が用意されたということだろう。

 この本は、先ず「企業管理工作において、我われは常に生産物の数量、品質、設備、機械、原材料など多くの具体的な技術や業務に関する問題に直面する。こういった問題の処理に当たっては往々にしてモノとモノ、ヒトとモノとの間に起こる問題だけを処理すればいいように考えられがちだが、じつはマルクス主義政治経済学はこのような関係の背後にヒトとヒトの関係、つまり一定の生産関係が隠されていることを教えている」と力説する。

 社会主義社会においても資本主義社会と同じように企業管理はある。だが、資本主義のそれが資本家と労働者の間の支配と被支配、搾取と被搾取の関係であるのとは大いに異なる。では、どこが、どう違うのか。この本では「社会主義企業にも管理、監督、生産調整の職能はあるが、社会主義社会の企業における人と人の関係、つまり社会主義の生産関係を反映している。社会主義企業においては、生産にかかわる一切は労働人民全体の所有に帰し、労働者大衆は企業の主人である」と説かれている。

 かくして「常に大衆を信頼・依拠し、労働者大衆を組織しやる気を出させるように働きかければ、企業活動は活発化し、生産はうなぎ登りだ。これに対し、常に少数の管理担当者や技術者だけに頼り、大衆に不信感を向け依拠しなかったら、企業活動は気息奄々として冷え込む一方だ。だから、全身全霊で労働者階級に依拠し企業管理を強化し、社会主義企業の経営権をプロレタリア階級の手に固く握らせてこそ、社会主義の生産関係を絶え間なく完全な形に近づけ発展させることが可能となり、プロレタリア階級独裁を強固にする任務を基層部分にまで貫徹させ、不断に生産力の発展を促す」ことになるわけだ。

 さらに「社会主義の企業管理に当たっても専門の管理者は必要不可欠であり、同時にその働きは十分に発揮させなければならない。だが管理者は、党と国家の委託を受けているという峻厳な事実を深く心に刻み付けておかなければならない」と、改めて釘を刺すことを忘れていない。ということは、建国直後から文革当時まで社会主義中国の企業では「管理者は、党と国家の委託を受けているという峻厳な事実を深く心に刻み付けて」いなかった。極論するなら、社会主義の企業倫理など絵に描いたモチだったと考えて間違いだろう。 

 ところで、ここでいう「党と国家の付託」の部分を株主と置き換えれば、現在の中国で「企業活動は活発化し、生産はうなぎ登り」になっている理由が判ろうというものだ。もちろん株主とはいうものの多くはオーナー企業経営者であり、その一族であり、彼らに寄生する中央から地方までの党や政府の幹部ということになる。いいかえるなら中国の企業管理者は「為人民服務」という屁の役にも立たないような「社会主義の企業管理」をかなぐり捨て、「為自己服務」を大原則とする“強欲資本主義”の企業管理に脇目も振らずに乗り換えた。であればこそ、目下のところは“我が世の春”を謳歌していることになる。

 「社会主義の企業管理を正しくやり遂げれば、社会主義企業は党の基本路線の軌道に沿って永遠に勝利に向かい前進する」が結論。ならば問題は「党の基本路線」・・・だな。  《QED》