【知道中国 341回】                   十・十一・念三
――ぼ、ぼ、僕らは抗日少年ゲリラ隊・・・ 『石荘児童団』(上海人民出版社 1963年)


 58年にはじまった大躍進政策は惨憺たる結末を迎え、3年続きの自然災害が追い討ちを掛け、3000万から4000万人が餓死した。この危機的情況を打破し「V字回復」を果たした最大の功労者は、毛沢東に代わって国家主席・国防委主席に就いた劉少奇だ。

 だから、この本が出版された当時は劉が大いに讃えられてしかるべき時代だったはず。だが、黙って引き下がる毛ではない。得意の“搦め手”による劉少奇追い落とし策に手をつけ始めていたようだ。《毛沢東の正しさ》を子供に植え付け、毛沢東を《絶対無謬の神》と思い込ませ、しかるべき政治決戦に備え、虎視眈々と一剣を磨く。冷酷非情・用意周到・奇奇怪怪。

 無邪気であるがゆえに喜々として冷血・残酷にもなりうる子供たちを操って反劉少奇の大混乱を起してしまえば、こっちのモノ――この本から、こんな底意が読み取れる。

 小栄クンはちびっ子だが肝っ玉が据わっている。日本鬼子(ぐん)が駐屯する東港を流れる平洋に飛び込んで、今日も魚獲りだ。水に潜ったかと思えば川面に浮かんでは遊んでいた。ふと岸辺を眺めると、兄ちゃんの小順たちが手に手に槍を持って玉蜀黍畑の中に消えてゆく。日本兵の偵察だ。小栄クンは慌てて岸に上がって、兄ちゃんたちを追いかける。

 やっと追いついてしばらく行くと、川の方からジャブン、ポトンと音がする。川辺の葦の間から伺うと、日本兵が川に入り測量をしている。どうやら、この川に橋を架けるための準備をしているらしい。この光景を目に小栄クンは子供心にも、「チクショウ、日本鬼子に橋を架けられたら、おいらたちの村は全滅だ」。「子供たちの目は日本鬼子に釘付けとなり、目からは復仇の怒りの炎がメラメラと燃え上がる」。

 小栄クンは小順兄ちゃんの命令を受け、村の民兵隊に報告に走る。相変わらず偵察を怠らない子供たちの目に飛び込んできたのは、メガネの「ちびでデブの日本軍隊長」。歩きながら部下を叱り付ける姿は、「まるで生きた凶暴な猪」。と、川上からスイカを満載した小船が。船にはおじいさんと子供が。と「ヤバイゼ、小栄のヤツ報告に行かずに船の上でさぼって遊んでいやがる」

 炎天下である。川の中で測量していた日本兵は喉が渇いたのだろう。小船に近づいてはスイカを勝手に取り上げ、喉をゴクリと鳴らしながら、冷えたスイカをムシャムシャ。と、ピューン、ピューンという銃声。スイカを手に慌てて逃げ惑う日本兵。デブの隊長は船尾でブルブル。そこで小栄クンがデブの腹を目掛けて頭突き一閃。やつは、もんどりうって川の中へ転落だ。

 船上のおじいさんが付け髭を取り外すと、なんと民兵隊長。大声で「生け捕りだ」。
一斉に川に飛び込んだ子供たちは、必至に逃げようとする日本兵の足や手を掴んで川の中に引き釣り込んで溺れさせる。戦闘はしばらく続いたが、全員が民兵に捕まってしまう。

 静かになった川面をスイカ満載の小船が行く。船上の子供たちはハシャギながらスイカを頬張る。そこに「日本の侵略者を我等数億の立ち上がった人民の前に引きずり出し、一匹の野牛を火陣の中に追い込むように仕向ける。一声挙げて吃驚させれば、この野牛は焼け死ぬしなかい」と毛沢東の教えが重なり、「毛主席の教えは何とすばらしいことか」と。

 この本は毛沢東からの有難い“子ども手当て”。文革開始で・・・余すところ3年。  《QED》