【知道中国 334回】                         十・一・初九

――革命のために「普通話」を学ぼう
『積極推広普通話』(文字改革出版社 1976年)



 この本を読みながら、40年ほど昔の香港留学時、同じ研究室の先輩で広東省台山県出身の麦さんを思い出した。彼の喋る台山語は研究室仲間の広東人でも莫明其妙(チンプンカンプン)。だからいつも麦さんは孤独。コツコツと中国古典の研究を重ねるしかなかった。

 京都大学大学院で2年ほどの研鑽を積み戻ってきた麦さんと話をしていると、研究室の先輩たちが「たいしたもんだなあ。感心したよ。やつと話が通ずるなんて、いつ台山語をマスターしたんだ」と感激の態。最初は何のことやら判らなかったが、じつは麦さんがマスターした日本語で2人でバカをいい合っていただけ。
つまり広東人からすれば、台山語と日本語の区別ができない。中国には方言は数限りなく存在し、台山語だか日本語だか訳が判らない。そこもと左様に、ことば通じなくて当たり前。支障なく通じたらオカシイ。だが、それでは困る。極めて都合が悪いことになる。そこで、本書中が示す実例を挙げると、

 たとえば人民解放軍。江西省の一部では「黄」と「王」の区別がつかない。「上」と「向」、「七」と「一」、「趙」と「邵」と「曹」の発音の違いが判らない地方もあれば、「子弾(銃弾)」と「鶏弾(卵)」、「集合」と「集火」の音が混同している地方もある。ということは戦場で上官が、「黄同志、子弾を7発。趙同志、全員を集合させよ」と命令したとして、王同志が卵を1個持ってきて、趙同志を先頭に全員が火を集めはじめる・・・これでは戦争にならない。最悪の場合には部隊全滅は必至だ。(「為戦備学好普通話」)

 ある鉱山の現場。新人が削岩機で発破を仕掛ける穴を掘削するよう命じられた。先輩が「干了?(やったことはあるかい)」。新人は「看過(見たことがあります)」。先輩は、やおら削岩機を引っ掴んで自分で穴を掘ってしまった。新人は「干(gan)過」と応えたつもりが、先輩には「看(kan)過」としか聞こえなかった。だから生産活動が順調に進むわけが無く、どだいマトモな国家建設はムリだ。(「克服語言障碍為革命刻苦学習」)

 些か出来すぎの感なきにしもあらずだが、ある農民の述懐。「解放後、毛主席と共産党は我々を苦界から救い出してくれた。貧農下層中農民は生まれ変わって、自分で自分の運命を決することができるようになればこそ、幸せな人生を送れるのだ。そこで一念発起してマルクス・エンゲルス、それに毛主席の著作を学習しようと思い立っても、字を知らないから読めない。聞くことしかできない」。だから『毛主席語録』の学習など、まともにできるわけがない。(「社会主義革命和建設需要我們学好普通話」)

 つまり革命を推し進め、中国を統一的に統御するには統一したことばが必要不可欠となる。そこで毛沢東が「全ての幹部は普通話(共通語)を学べ」と大号令を掛けた1958年、周恩来は「我が国の漢族人民において普通話を広く普及させることは『一つの重要な政治任務だ』と指摘した」わけだ。彼らにとって、ことばもまた政治そのものなのだ。

 この本は冒頭で「我が国漢民族の言語は世界中で最も発達した言語の1つだが、歴史的な要因で漢語には比較的大きな方言の違いが認められる。こういった情況は、我が国人民の政治、経済、文化生活に不都合を生ずる」と断っているように、方言は千差万別。ことばも違えば文化=生き方も違うはずだが、不思議なことに役人天下の汚職文化は全国共通。ということは、古来続く汚職という文化こそ、彼らの普通話ということだろう。  《QED》