【知道中国 320回】             〇九・十二・仲二

――3日やったら止められない・・・とはいいますが
『中国乞丐調査』(于秀 中華工商聯合出版社 1999年)



 本書は、女性ライターによる長い時間を掛けた突撃取材によって明らかにされた20世紀最末期の中国における乞食社会の内面報告である。中国各地で取材した26例が詳細・綿密に、そしてリアルに綴られ、社会の最底辺がどうなっているのか。そこで何が起こり、なにゆえに彼らは最底辺の生活を送っているのか――

 なにはともあれ、何人かの乞食に登場願うこととしたいが、その前に70年代前半を過ごした香港での我が経験を・・・。当時の香港にも種々雑多な乞食がいた。彼らは一様に自らが乞食生活を余儀なくされるに至った来歴を墨で紙に、あるいはチョークで路面に書きつけ、通行人の同情を誘う道具立てにしていた。来歴を記した虚実綯い交ぜの表現の面白さに時の経つのを忘れ読み耽けり、時に乞食を求めて街を散策したこともあるが、なにより吃驚仰天したのが鮮やかなまでの筆致。乞食自身が書いたものなのか。それとも代筆を商売とする仲間でもいたのだろうか。20世紀前半の中国の乞食に関する本を読んでも、やはり達筆で“自己紹介”を・・・ということは、それが乞食社会の伝統手法ということか。

 さて、北京動物園の入り口の雑踏で著者が知った若い女性の乞食は「呂秀娟。河南武郷人。母を亡くし父は病の淵に苦しみ床に伏したまま。3人の弟妹は幼く食うに事欠く始末。心優しき方々の援助を心よりお願い致します。私は学費が払えず、重点教育を施す高校中退を余儀なくされました。皆様の暖かいご援助で妹や弟を学校に通わせてください。心よりの感謝の意を」と自らの身の上を書き記した紙を首から提げていたというが、墨痕鮮やかに記されていたのだろうか。かてて加えて、ウソかマコトか知りたいところ。

 貧乏だが成績優秀だった彼女は、親戚一同の援助で高校へ。ある夜、村の鼻つまみ者に暴行され不幸にも妊娠してしまう。学校にも行けず、村にも居られず、不幸な子供を残したまま北京へ。だが、仕事などあるわけなく万策尽きて乞食に。もう故郷には戻れない。

 車椅子に乗ったみすぼらしい乞食だが、じつは一帯の乞食の総元締め。もう一つの顔は、手荒な仕事で近郷近在を震え上がらせる押し込み強盗団の親分。彼もまた両親を知らなければ生まれ故郷もわからない。気がついた時には、乞食になっていた。とはいえ立派な屋敷に3人目の若いカミサンと子供。優雅な生活である。乞食で稼いだ金を元手の賭けマージャンで濡れ手に泡の大儲け。広州の歓楽街では、たった9歳の女の子が夜中の2時3時まで酔客相手の花売り稼業。「名誉がなんだ。政府は面倒見てくれねえ。カカアと2人、乞食でもしなきゃあ死ぬしかネエ」と、革命戦争に参戦したが両足膝下を吹き飛ばされ元解放軍兵士。大企業経営者に成り上がってチャイニーズ・ドリームを実現した元乞食・・・。

 「貧乏の共同体」であった毛沢東の時代は遠く去り、いまや共産党政権は目の眩むような格差を助長するばかりの金持ち優遇策を次々に打ち出し、必死に延命をはかろうとする。

 没落する超大国のアメリカを尻目に1国で世界を差配しようと鼻息は荒いが、彼ら乞食が抱える現実を見せ付けられれば、北京が狙う壮大な“世界制覇計画”もまた蜃気楼に思えてくる。同時に、彼らの生活ぶりが19世紀後半から20世紀前半にかけての“眠れる獅子”がじつは“眠れるブタ”だった時代を生きた乞食の悲惨極まりなかった生活と重なって見えてしかたない。中国の20世紀は停滞、退歩、進歩、はたまた先祖返り・・・。  《QED》