【知道中国 313回】 〇九・十二・初一
――虚しい熱狂のみが空回りしていた・・・
『江青同志講話選編』(河北人民出版社 1969年)
やや下卑た表現だが、30年代半ばに革命の聖地・延安で毛沢東を色仕掛けで誑し込んで以来、政治権力への異常なまでの関心を抱き続けた江青にとって、文化大革命は千載一遇のチャンスだった。猫に鰹節といったところだろうか。この本は66年2月から68年9月にかけて――文革前夜から文革勃発を経て中央文革小組の中心メンバーに納まり、江青が念願の最高権力の一角を占めるまでの間、各種の政治集会における彼女の発言を纏めたものである。発言の間に「長時間熱烈拍手」といった注記が挿入されているだけに、当時の会場の雰囲気がリアルに読み取れてじつに興味深い。なお裏表紙に「内部発行」の4文字が印刷されているところをみると、この本は一般に発売されたものでもなさそうだ。
当時の社会を振り返れば、まさに驚天動地。中国全土は熱狂の坩堝と化し、権力をめぐっての怨念と執念とが人々を突き動かしていた。何が起こったのか、中国は何処に向かうのか。誰もが明日の自分の運命すら判らない。ただただ不安と疑心暗鬼と故なき恐怖心とが渦巻まき、中国全土が沸騰していた――疾風怒濤こそ、江青には望むところだったはず。
演壇に立つと沸き立つ「革命的群衆」の熱い視線が彼女に集中的に注がれる。天をも焦がすような革命的熱気に包まれた会場に、甲高い彼女の声が響く。“革命的常套句”が小気味よく舌鋒鋭く機関銃のように続く。唸りを上げ湧き返る会場。その熱気に彼女の脳中でアドレナリンが迸り絶叫のボルテージは上がり、会場の熱気もまた最高潮に達する。熱狂が狂騰を呼び相乗効果が生まれ、彼女は至福の一刻に浸る。革命とは、また熱狂する大衆の暴力芝居だった。その一端を67年9月に河南、湖北から北京にやってきた軍隊幹部、地方幹部、それに紅衛兵による集会で行われた彼女の講話にみておきましょうか・・・。
開口一番、彼女は「同志諸君、ごきげんよう」。すると会場から熱烈な拍手と歓声。
続いて《熱烈な拍手》。以後、彼女の主な発言を「 」で、会場の反応を《 》で示す。
【知道中国 313回】 〇九・十二・初一
――虚しい熱狂のみが空回りしていた・・・
「私は毛主席、林副主席になり代わり同志の皆さんにご挨拶いたします」⇒《長時間の熱烈な拍手。「毛主席万歳」「毛主席よ永遠なれ」「林副主席よ壮健なれ」の連呼》
「建国18周年の今年は文化大革命2年目の劈頭に当ると共に、決定的勝利を勝ち取る年でもあります」⇒《長時間の熱烈なる拍手。会場を揺り動かして「毛主席の革命路線勝利万歳」「プロレタリア文化大革命勝利万歳」の連呼》
「文革が起こらず、無敵の紅衛兵小将軍が存在しなかったら、党内に巣食う叛徒集団や特務を摘まみだせたでしょうか」⇒《すかさず「不可能」の声。次いで「劉・鄧・陶を打倒せよ」「党内最大の一握りの資本主義の道を歩む実権派を打倒せよ」と会場は沸騰》
「文革を通じ互いに戦ってこそ、人民解放軍と紅衛兵は本当の戦友となれ労働者人民にとっての最も好き人間となれるのです。これで私の話を終わります」⇒《長時間の拍手と共に「毛主席万歳、毛主席万々歳」のどよめき》
さすがに元役者だ。江青の演説を読んでみると歯切れがよく、心地よく耳に入ってくる。だが内容が空疎に過ぎ、何もいっていないと同じ。最早それは政治演説でも自己主張でもない。明らかな集団洗脳であり、元役者と狂騰する群集による掛け合い漫才でしかない。壇上で必要以上に舞い上がる江青の姿を思えば、可笑しくも痛々しいかぎりだ。 《QED》