【知道中国 293回】 〇九・十・仲五
―本当に痛くはなかったんでしょうか
『針刺麻酔探秘』(林健雄編 平正出版社 1971年)
この本の「前言」によれば、「患者が手術台に横たわり医者が手術を施す。医者は患者に麻酔薬を使わないが、患者の精神は冴えわたっていて話が出来るだけでなく、食べ物を口にすることだってできる。だが、痛いという感覚は全くない」――これが針麻酔であり、この本出版当時、中国ではすでに40万以上の成功例が報告され、生後2日の嬰児から80歳を越えた老人まで、軽い病気から「休克(ショック)」が原因で意識不明になった重病人まで、頭部から胸部・腹部を経て四肢に至る疾病まで、成功率は90%前後とのことだ。
そもそも漢方の一部として古くから針治療は行われてきたが、鎮痛効果に着目した医者が扁桃腺摘出手術で使ったのが最初らしい。1958年に本格的に針麻酔の臨床実験に着手したが、当初は「非科学的だ」「実用の価値なし」といわれ全国的に普及せず。ところが文革がはじまるや、この種の否定的考えが改められる。自力更生という摩訶不可思議な“毛沢東式中華国粋主義”が一世を風靡し、かくして「統計によれば、文化大革命前の8年間に全国で行われた針麻酔による手術は1万例に満たなかった。ところが文化大革命以来、各地で施された針麻酔による手術は40万例を軽く突破。上海市の場合、手術可能施設を持つ病院の90%以上で針麻酔が施されている。上海市のある病院においては脳外科手術の90%以上で針麻酔を実施した結果、手術後の死亡例は大幅に低下した」。
中国の場合、「統計によれば」の「統計」がそもそも眉唾モノだけに、そのまま信じるわけにはいかないが、針麻酔と文革が極めて近い関係にあることだけは確かのようだ。
この本の付録に実際に針麻酔手術を見学した何人かの外国人の手記が納められているが、菅沼正久・本州大学教授のそれを見ておこう。もっとも、彼は当時の日本論壇・学界で文革礼賛の旗を狂気のように打ち振った代表的人物である点を考慮しておくべきだが・・・。
彼は武漢医学院付属第二医院の手術室の2階に設けられた見学室で、「直径4メートル」のガラス越しに階下の手術室で執刀中の医者の手元を見つめる。患者は40歳ほどの女性と50歳前後の男性で共に労働者。前者は甲状腺、後者は三叉神経の疾患だ。執刀医と看護婦は総計8人。「10時01分、患者を含む全員が一斉に『毛主席語録』を学習する。10時09分、執刀開始」。10時36分、2センチほどの患部を摘出。6分後に縫合手術開始。完全消毒のガーゼで傷口を包む。「10時58分に縫合手術完了。同時に針麻酔も終わり針を抜く。11時過ぎ、患者はベッドから起き上がり、サンダルを履き、頭をもたげて見学室の我々に目を向け、『毛主席語録』を打ち振って感謝の意を表す。私はガラスを間にして、いま目にした手術の一部始終をすっかり忘れ、彼女に向かって手を振って感謝した。看護婦が切り分けたりんごを載せた皿を渡すと、患者は幾切れか食べた後、看護婦の支えを断って、すぐに手術室を出て行った」。それにしても菅沼が患者に「感謝」する理由が判らない。
三叉神経手術では、頭部切開手術中にも患者は果物を食べ『毛主席語録』を打ち振る。2階の見学者に執刀医の手元がよくみえるように鏡が用意される。「鏡に映る患者の視線と私の視線とが、確かに重なり合った」。もちろん、この手術も大成功し「現代医学体系に創造的な貢献をなし」たとか。まあ、それはそれで否定しても詮無いことだが、つらつら考えるに、止痛効果があったのは針麻酔より『毛主席語録』の方ではないのかナア。 《QED》