【知道中国 281回】 〇九・九・仲七
―踊る、踊る、中国人民は踊る・・・これでいいのだ
『日常中国』(呉亮・高雲 江蘇美術出版社 1999年)
「50年代老百姓的日常生活」の副題のままに、この本は50年代の中国における老百姓(じんみん)の日々の生活を、写真と文章とで回想する。新しい中国へ向け社会全体を改造しはじめたばかりで旧い中国が色濃く残っていた時代から、「大躍進政策」で呼ばれた急進的で無謀な社会主義化に国を挙げて狂信的に取り組んだ悲劇の時代まで――「旧」と「新」の2つの中国が微妙な形で混在していた当時の世相が、この本から浮かびあがってくる。
先ず旧中国の1枚は、共産党活動家を暗殺した犯人護送の現場写真だ。場所は不明だが、1951年7月16日の撮影と記されている。写真中央の犯人は後ろ手に縛り上げられ、かつて死罪となった者がそうされたように罪名と自分の名前が記された卒塔婆のような形の板を背負わされている。犯人を両脇から挟んだ公安と思しき2人の手は犯人の腕を掴む。残る1人は先導役か。共に若い3人は真正面からカメラを見ている。やや俯き加減の犯人の目もしっかりとレンズを見据えているが、その目は冷たく笑っているようだ。覚悟ができているのだろう。周囲を取り囲む多くの見物人の間に屋台が並ぶ。処刑直前だろう。写真の説明は、「50年代初頭は反革命鎮圧の時代だった。刑場への道すがら犯人は路傍の食堂にて、この世の最期の食事が許されていた。なかでも腹の据わった犯人は、そば屋の前にさしかかると護送車から『あの世への道中に抻麺(手打ち麺)を一杯』。店内に入る。犯人は大声で『龍鬚麺』。すると職人は黙々と麺打ちに取り掛かる」とある。
この死刑囚は撮影前に麺を食べたのか。これから食べるのか。いずれにせよ撮影からほどなく処刑されたに違いない。罪名が書かれた板を背負いながら口にする人生最期の麺という旧い中国。だが彼を裁いたのは、新しい中国を象徴する人民法廷と反革命なる罪名。
次は新しい中国。1枚は「無錫市青年文工団・共青団員による聯歓舞会」。残る1枚は「1957年の北京。一般的な工場労働者の結婚舞会」。舞会とはダンス・パーティーのこと。聯歓舞会は、やがて権力の階梯を上り詰めることになる共産主義青年団のエリート青年が文芸工作団の選りすぐりの美女に狙いを定めた合コンらしい。「魔都・上海」の紅灯の巷は別にして、中国の一般男女がいつの頃から社交ダンスに親しむようになったかは定かではない。だが革命の聖地と呼ばれた当時の延安では、既に社交ダンスは盛んだった。毛沢東以下の共産党幹部は政権獲得後も、ともかく口実を見つけては社交ダンスを楽しんでいた。どうやら中国では、革命とダンスとは切っても切れない関係にあったようだ。
聯歓舞会会場は公園の一角だろう。文工団の女性団員は白のブラウスにソックス、それにカラフルなスカート。共青団の若者は人民服やら開襟シャツ。青空の下、互いの目をみつめ合い楽しげに踊った末に、「対象(こいびと)」をゲットか。結婚舞会の会場は、おそらく工場の集会所だ。黒板には大きく「囍」と書かれ、その上の壁には毛沢東の肖像画を挟んで「熱愛勞働」の4文字。結婚を祝うダンス・パーティーで踊る男は黒っぽい人民服。だが娘たちの衣裳は明るい色調のようだ。ぎこちなく組み、互いに微妙に目線を逸らす。
あれから50数年。死刑直前の抻麺などという旧い中国は残っていないだろうが、いまだにダンスは盛況。中国人民は踊る。どこでも誰でも、どんな曲でも踊ってしまう。そういえば文革当時、毛沢東に忠誠を誓う「忠字舞」の狂気乱舞もありましたっけ・・・ネエ。 《QED》