【知道中国 275回】 〇九・九・初三
―獅子は「五百年の眠り」から猛烈に目覚めた・・・そうだ
『中国何以説不――猛醒的獅子』(張学礼 華齢出版社 1996年)
97年の香港返還前後、中国では「説不(ノーという)」を掲げた勇ましい内容の本が数多く出版されたが、「中国何以説不(中国はなぜノーというのか)」「猛醒的獅子(猛然と目覚めた獅子)」との書名を持つ本書も、その1冊。著者は激しい民族主義感情の持ち主だろう。
中国は「返還」といわず香港の「中国回帰」と呼ぶ。植民地としての香港を1840年のアヘン戦争を起点とする屈辱の近現代史の象徴と看做すなら、「回帰」は民族的復仇を意味し、1世紀半の長きにわたって中華民族を弄び苛んだ帝国主義列強への民族的仇討ちだったことになる。憎っくき英国を叩き出し、香港を中華民族の手に取り戻し、中国への回帰を成し遂げ、民族の屈辱を晴らすことを可能にした共産党政権こそ、中華民族にとっての正統政権なんだ――あの時、北京は香港を舞台に壮大な政治宣伝を繰り広げた。本書もまた、そんなプロパガンダの延長線上にあるような気がする。
先ず「現在の世界は太平で豊かではないが、正しく在るべきだ。不服・不満があるなら声を挙げる。これが天下の正しい道だ。中国は大国だが、過去何百年来は屈辱の歴史でしかない。当時の中国人は敢えて『不』と口にできなかった。今(20)世紀40年代末、世界の東方の空で雷鳴が轟き中国人が立ち上がった。とはいえ貧乏という帽子を取り去ることは出来なかった」と、49年の建国以後も中国は貧乏であったと認めたうえで、だから「不」の声を挙げるという「天下の正しい道」を行えなかったと、“慙愧の念”を吐露する。
そして「新中国成立以後の数十年間、我々は国家の建設に当たり奮闘努力を重ねてきた末に、やっと一筋の光明を見出した。そうだ、中国が本当に苦境から抜け出る道は世界の大市場に向って突き進むしかない。『社会主義市場経済』の僅かの8文字を認識するため、我々はタップリと40年近くの『学費』を払わされた。(中略)長い間、我々は大きく過酷な代償を支払わなければならなかった」と、毛沢東への恨み辛みを並べる一方で、「冴えわたった頭で冷静に対外閉鎖の危険性を見抜き、閉じられた大門を比類なき胆力と能力と巨大な手でこじ開けたのは誰あろう鄧小平なのだ」と鄧小平賛歌を高らかに奏でている。
著者は「旧い歴史を持つこの国は数えれば500年ほどの間、眠り呆けていた。この間、人類は空前の発達を遂げ、世界が巨大な変化を経験したにもかかわらず、中国は大発展の機会を何度となく失った。(中略)輝かしい文明を持つ大国は、世界から遥か遠くの落伍した地点に置き去りにされてしまったのだ。中華の心ある人々は、この間の歴史に思いを致すごとに切歯扼腕し、嘆かないことはなかった」と、対外閉鎖の弊害を苦々しく指摘した。
ここで興味深いのは、中国が対外閉鎖を500年余り続けてきたという著者の指摘だ。500年余り前といえば明朝の半ばに当たるが、当時の明朝は永楽帝が先鞭をつけた海洋世界への関心――内陸アジアを経由せずに西欧との直接交流の道――を自ら絶つ。これに対し西欧はヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰経由東インド航路発見をきっかけに大航海時代へと突き進み、世界の覇権を握る。つまり自らを大陸に押し留めたことが「輝かしい文明を持つ大国」たる中国の発展を妨げた。そこで著者は「世界の軌」に「接」せよと力説する。
著者は中国が秘める“世界史的野望”を熱っぽく過激に語る。鄧小平が敷いた開放路線を経済的側面のみで捉えている限り、中国の将来を見定めることはできそうにない。 《QED》