【知道中国 1057回】 一四・三・三十
――(毛沢東+鄧小平)×中国人=全球型超野蛮金権資本主義
『「曖昧な制度」としての中国型資本主義』(加藤弘之 NTT出版 2013年)
あれほどまでに自力更生、為人民服務を絶叫し、国を挙げて毛沢東思想にトチ狂っていた中国人が、1978年末の鄧小平の改革・開放の一言で“宗旨”を180度転換し、共産党推奨でカネ儲けに狂奔するようになった根本要因は何なのか――そんな疑問に答えてくれると期待して、この本を手にしてみた。結論を先にいってしまえば、落胆の極み。ガックリ。
著者は「歴史的視点、比較の視点、グローバルな視点から中国の経済システムの独自性を分析し、『制度に埋め込まれた曖昧さ』が高度成長の要因の一つであると主張」する。そして横行するニセモノ、天文学的な格差、想像を絶する腐敗の3つのエピソードを端緒にして、「中国経済のおもしろさ、奥深さについて話を始め」め、「そうした問題を抱えながらも成長を続ける中国経済の強さ、したたかさ」を考える。加えて「中国理解のむずかしさ」の理由として、「多様性に富む大国」「変化の驚くべき速さ」「制度が持つある種の『曖昧さ』」を挙げている。
次いで「中国型資本主義の特徴」を、①「さまざまなレベルで自由市場資本主義を上回るような激しい市場競争が存在する」。②「国有経済のウエイトが高い混合体制が存在する」。③「独自の中央=地方関係の下で、地方政府間で疑似的な市場競争に似た成長競争が観察されること」。④「官僚・党支配層がある種の利益集団を形成していること」――だとする。
以上の視点から著者は、「中国型資本主義」の持つ「曖昧な制度」が中国の経済成長をもたらしたと看做したうえで、「時間はかかっても中国がかつて世界の中に占めていた主要な地位に復帰することは、ほとんど確実なことのように思われる」と結んでみせる。
だが著者が挙げる「中国型資本主義の特徴」のカラクリを現実に即して考えるなら、
①⇒商業民族としての中国人の特性が猛烈な勢いで、しかも野放図に拡大していること。
②⇒国有企業に大幅な裁量権と資金を投入し、強固な政治権力を背景にした身勝手な経営(=幹部のための天文学的な不正蓄財)を許していること。
③⇒地方幹部にとって昇進基準が、毛沢東時代の政治から経済へと大変質した。いいかえるなら、管轄地域のGDPを拡大させない限り、将来の出世は覚束ないということだ。「独自の中央=地方関係」とは幹部間の派閥系列であり、「地方政府間で疑似的な市場競争に似た成長競争」とは、地方幹部の間にみられる「?死我活(生きるか死ぬか)」の熾烈な出世競争(=なりふり構わぬ経済規模拡大)の別の表現と考えて間違いないだろう。
④⇒一党独裁体制であればこそ、どれほど政府が腐敗の撲滅を叫ぼうと、権力と金力が交換されるシステムは根絶しえないということ。
こう考えれば、「曖昧な制度」とは著者発明の斬新な概念ではなく、共産党政権以前の旧社会に常にみられた民族の特性とそれに起因する権力の悪弊を存続させた制度に酷似しているということ政治で縛ったって中国人は動かない。共産党を批判しないかぎり、手前勝手に稼がせろ。さすれば猛烈にカネを稼ぎ出す――中国人の性向と欲望とを熟知していた鄧小平であったればこその“大英断“が、短期間での中国経済の膨張をもたらしたのだ。
最近、中国からは清朝盛時には世界のGDPの30%強を、宋代には80%余を占めていたとの勇ましい主張が聞こえて来る。そこで「かつて世界の中に占めていた主要な地位」とは具体的にどの時代を指すのかを、敢えて著者に問い質したい。かりに宋代を指すというのなら・・・やがて世界は破滅に向かう。そんな世界が到来して、いいわけはない。《QED》