【知道中国 939】 一三・七・念一
――この道は、いつか来た道
「産経新聞」(7月18日)の「共産党内分裂の兆し」(「石平のChina Watch」)を読んだ。
①6月下旬の政治局会議での習近平総書記の指示は、現在の党中央内部に思想的・行動的に亀裂が生じていることを物語る。②「国内の一部改革志向の知識人」の提唱する「憲政」=「憲法に基づく国づくり」は、憲法を党の上に置き、憲法によって共産党独裁を制限することを目指す。「それは今や知識人階層のコンセンサスになりつつある」。③自らを掣肘する如何なる権威・権力の存在も認めない共産党は、系列メディアを動員して憲政は党転覆を企図するとのキャンペーンを張る。だが、党上層の一部に憲政に同調する動きがみられる。④憲政をめぐっての党内対立は、いずれ「体制そのものの崩壊につながるのではないか」――と論旨を整理して、なにやら清朝末期の変法自疆(強)運動が想起された。
1840年に勃発したアヘン戦争は単に清朝がイギリスに破れただけない。“絶対無謬の存在”である天の意思を地上に実現する使命を持つゆえに、天子=皇帝が地上の一切を支配することは当然であり、皇帝が地上のすべての秩序の頂点に立つことは天によって定められた絶対の真理・摂理である。天の意思を体した皇帝こそが地上の一切に優先する――という清朝が拠って立ってきた中華帝国の秩序・支配の正統理念をも粉砕してしまったのだ。
ここで天を共産党が掲げる人民に、皇帝を党中央に置き換えてみたらどうだろう。絶対の存在である人民の意思を体現しているがゆえに、党中央(具体的には総書記)が中国世界の一切を差配し地上のすべてに優先する。こう考えれば、中華帝国の支配論理と共産党の主張が重なってくるだろう。ならば共産党は中華王朝の焼き直し、亜流といえそうだ。
そこで変法自疆運動に戻る。アヘン戦争敗北の原因を経済的貧困と軍事的脆弱性に求めた清朝官僚や知識人は、清朝の近代化を達成し富強を実現すれば、外国から侮られなることはなく、侵略は防げ、中華帝国の再興は可能と考えた。そこで19世紀半ば以降、さまざまな野心的近代化政策が推し進められたのだが、ことごとくが失敗に終わる。
かくて19世紀末、少壮改革派は憲法を定め、変法(議会を設立し、皇帝を絶対とする旧来からの中華帝国式統治制度を抜本的に改革)することで近代国家を建設し、自疆(清朝の富強)を達成しようという大構想を描いた。これが変法自疆運動である。
だが、この動きに西太后を頂点とする保守派が猛反発した。彼らは皇帝を絶対視する支配構造に寄生して諸々の特権を享受していたゆえに、皇帝の上に憲法や議会を置かれたら、皇帝権力は著しく制限されてしまう。ならば断じて許し難い。チッポケな人間(憲法、議会)が至上・至聖の皇帝(天)を差配するなどは以ての外、という理屈を持ち出した。
両者の対立が表面化するが、事は一瞬にして決着する。少壮改革派には資金も武力も不足、いやゼロに近かったからだ。だが勝利したとはいえ、保守派政権では清朝の退勢を挽回することは不可能だった。かくて1911年に勃発した辛亥革命を機に清朝は崩壊する。
ここで現在の憲政派を変法自疆勢力に、習近平を頂点とする党中央を清朝保守派に重ね合わせて考えたい。資金・武力は、明らかに後者が圧倒している。ならば憲政派対党中央の戦いの帰趨は自ずから定まってくるだろう。そこでカギを握るのが人民解放軍ということになるわけだが、解放軍上層も習近平政権が唱える「中国の夢」路線に異を唱えることはないにように思う。現に享受している緒特権を、ムザムザと手放すわけはないからだ。
そこで知りたくなるのが解放軍内の憲政派の有無である。昨今のエジプト政変劇を見るまでもなく、やはり毛沢東が喝破したように「政権は鉄砲から生まれる」。であればこそ共産党政治の動向は、政権の内実がどうであれ、漢民族の政治的振る舞いの歴史を踏まえながら、長い眼で見ておくことが肝要だと思う。それにしても、である。なぜ漢民族の政治は、同じようなことの繰り返しなのだろうか。悠久の文明?・・・永遠のナゾ!《QED》