【知道中国 949】                         一三・八・十

     ――「お酒は飲み放題である」・・・これを太平楽という(柳田の5)

       「北京」(柳田謙十郎 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

次いで7月27日だが午前は天壇見学、午後は北京大学訪問、夜には“お待ちかね”の宴会が用意されていた。

「昔の帝王がここで天にむかって五穀の豊穣いのったのだという」天壇を眺めながら、「昔の帝王」に向かって、「彼らは民衆のためと称し、おためごかしをやりながら、実は人民からとり立てる税金でかくも豪華な建築をおこし、ぜいたくのかぎりをつくしたのである」と悪態をつき、「何しろ土地もひろく人口も大きいので、さく取の可能性も日本などとはくらべものにならない、大建築、大造営、どうしたら金をふんだんに消費できるのか、金のつかいみちに困った人間のやる仕事だから仕かけが無やみやたらに大きい、全くばかばかしくなるほどに豪華なものである」と続ける。

戦前は西田哲学を学んだというなら、もう少しはマトモな議論を綴ってもよさそうなものだが、かくも単純で底の浅い「おためごかし」の帝王批判を繰り出すしか能がないとでもいうのだろうか。

柳田はゴ丁寧にも、「こんなものを人民の政府がどうして大金をかけて大切に保存するのか」と通訳の女子大生に聞き質す。すると彼女は、「それは勤労人民の高き文化的作品である」と“教科書通り”の答を返してきた。

その予め要された余りにも教条的な答を聞いて柳田は、「なるほど金を出したものは帝王かもしれない、これを命じたものは君主かもしれないが、実さい手をかけてつくったものは勤労人民であり、人民の科学技術である」と納得し、「こういう考え方はソ連にも共通なものであるが、私たちをして深く反省せしめるものをもっている」と反省した後、「そう思って見ればまことに美しい、巨大な力感にあふれた美である」と感心してみせる。

柳田は「金をだしたものは帝王かもしれない」というが、では、その「金」を誰が生み出し、帝王はどのようにして手に入れたのか。『善の研究』の西田哲学からマルクス主義唯物論哲学に転じた柳田ほどの学識がなくても、唯物史観に立てば、その答は明らかだろう。つまり人民が生み出す「金」を帝王が権力に任せて搾取し、人民に塗炭の苦しみを味あわせながら、栄耀栄華な生活を満喫した、ということになる。であればこそ帝王などという権力者が出現する以前の、搾取も被搾取もなく、万人が平等で、各々が持てる力を十二分に発揮し、互いに助け合った原始共産制社会が理想であり、その理想の実現を目指して共産主義革命に勤しむということになるのだろう。

にもかかわらず柳田は「金」にまつわる一切の“矛盾”を語ることなく、「私たちをして深く反省せしめるものをもっている」などと簡単に反省してしまう有様だ。その昔に流行った「反省なら猿にでもできる」というキャッチ・コピーに倣うなら、柳田は猿程度ということになる。いや猿程度ではない、挙句の果てにいうに事欠いてか「「そう思って見ればまことに美しい、巨大な力感にあふれた美である」などとノー天気極まりない台詞である。呆れてものがいえないとは、こういうことを言うのだろう。

午後、柳田は北京大学に向かう。哲学科の教授の話から、「ここでは大体哲学史の研究が中心になっているらしく、中国革命の現代に応じた政治的実践の指導方針と直接結びついた研究をするところまではまだいっていないのかもしれない」と、当時の中国の哲学研究の課題を指摘する。「理論と実践とのほんとうの結びつきの問題は革命社会ができてもなおのこされた重大な問題のように思われる」とした後、「哲学がアカデミズム化して大衆の生きた生活要素からはなれる危険はひとり日本ばかりではないのかもしれない」などと生真面目に・・・だが夜は招待宴だ。固い話は早々に切り上げて、パ~ッといきましょうや。《QED》