3020 “もう一つの中国”への旅(旅260)
【知道中国 3020回】 二六・六・念一
――“もう一つの中国”への旅(旅260)
あと一例を挙げておく。
2001年4月に上海市統計局が発表した数字から、上海における人口動向をみておきたい。2000年に実施された人口普調(国勢調査)に拠ると、同年11月時点で上海には1,673万7,700人が住む。1990年からの10年間で339万5,800人が増加している。
上海市に戸口(都市戸籍)を持つ人口は8年連続で減少しているのに対し、上海以外に戸口を持つ上海在住者は387万1,100人ということだが、その大部分は農民工と呼ばれる農村からの出稼ぎ労働者だった。
こうみると、文革時には超過激な毛沢東原理主義派の一大巣窟だった上海も、「ヒトは動かせば活き活きする」のショーウインドーに変身していたようだ。
つまり鄧小平が断行した「四個現代化」は、「偉大的領袖」と崇め奉られた毛沢東が30年ほどを掛けて造り上げた「貧乏人の子だくさん」の中国を、モノの見事に革命的に変質させてしまったということ。これを「鄧小平マジック」というのだろう。鄧は毛沢東の失政を逆手に取りマイナスをプラスに、それもウルトラ級のプラスに換えてしまった。超現実主義者の面目躍如である。
対外的には対外開放を進めることで海外からカネとモノ(技術)を呼び込み、毛沢東治世の副産物である膨大な人口をタダ同然の安価の労働力として海外企業に提供し、先ずは中国を「世界の工場」に改造する。真の狙いを見透かされることなく中国市場を世界の産業のサプライチェーンの中核に変質させ、経済を飛躍的に拡大させた。飛躍的に増大した経済力は軍事力へと転化され、やがて世界の覇権を求め、国際社会を揺さぶりはじめる。
やはりタダより高いモノはなかった。まさに鄧小平が訴えた「韜光養晦」とはこのことであり、これを「鄧小平マジック」と呼ぶべきだろう。
「世界の工場」への第一歩の作業であった人民公社の解体によって人々は農村から解き放たれたわけだが、その余波が国外に及んでしまった。その典型が中国人の海外への大量移住である、かくて海外における中国人社会――新華僑ならぬシン華僑――の急拡大という現象となって現れた。
かくて、ここ半世紀ほどを振り返るなら、ニクソン訪中が毛沢東式閉鎖中国(=イデオロギー過剰超妄想ユートピア志向型自閉症)を国際社会に引きずり込んだことをキッカケに、「経済的に関与すれば、中国は民主化に向かって好転する」とのホワイトハウスを中心とするアメリカのエスタブリッシュメントが後生大事に抱いて幻想はモノの見事に潰え去ってしまったわけだ。
当時の西側世界1、2位の国力を誇った米英を乗り越えることを目標に掲げ、毛沢東は「超英趕美(英国を追い越せ、米国に追い付け)」を叫び、国民に滅私奉公ならぬ“滅私奉毛”を強要した。その結果、1950年代末から60年代初めまでの数年間、中国全土は飢餓地獄に陥ってしまい、中国は大後退を余儀なくされた。かつて毛沢東暴政の象徴であった「超英趕美」の4文字は、大躍進の時代から60数年を経て、いまや現実化しつつある。先ごろのトランプと対した習近平の振る舞いからは「趕美」の“気負い”すら漂うほど。
閑話休題。この辺りでラシオの観音寺境内に戻りたい。
本堂手前に図書館と書かれた建物があったので覗いてみると、広さは20畳ほど。書架には最近中国や台湾で出版された仏教系の書籍が並んでいたが、やはりガラス戸付きの書棚をビッシリと埋める「伝世蔵書」全123冊には圧倒された。「伝世蔵書」1980年代半ばに中国で実施され古代から清末までに著わされた1000余種、3万冊以上の書籍を集大成した一大出版事業で、1997年に刊行されている。こんな山寺に、なぜ。《QED》
