【知道中国 950】                         一三・八・仲二

――「お酒は飲み放題である」・・・これを太平楽という(柳田の6)

「北京」(柳田謙十郎 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)

27日の夜、柳田は中国平和委員会と対外文化協会からの招請に応じ、晩餐に出掛ける。だが、うきうきと参加する心の裡を見透かされてはまずいとでも思ったのか。「これは、われわれ日本人としてはかんたんにご馳走になれない理由がある」などと、言い訳がましい台詞を吐きながら、「われわれがこうして中国にやって来てご厄介になっているというそのことがすでに重大な矛盾をはらんでいる」。それというのも、「過去の日本人がやって来た数々のことを考えると、だまってほうかむりをしてとおすことのできるものではないのである」と、宴席に招かれることに対し“忸怩たる思い”をことさらに披歴する。ウソ臭ッ。

だが、ひとたびテーブルの上の美酒や山海の珍味を目の前にしたら、そんな殊勝な気持ちは吹き飛んでしまったのだが、そこは哲学者である。さすがに恥ずかしさを覚えたのであろう。自らの卑しさを包み隠そうと、いわずもがなの多弁を弄しはじめた。

「資本主義国では今戦争をやらないと金がもうからない。人ごろしの仕度をしていないと不景気になり倒産者と失業者が続出するが、社会主義国家では逆に戦争をやると全国民が最大の不幸におちいるばかりで、いかなる幸福もやって来ない、だからこの国にとって平和ほど大切なものはない」と。語るに落ちたとはこういうことをいうのだろうが、あろうことか柳田は無謀というべきか、厚顔というべきか、「平和のためならどれほどの金をつかっても決しておしくはない。軍艦を一つつくるつもりなら、平和のお客を招待するくらい全く問題にならない安上がりなしごとである」と強弁する始末だ。

かくて「だから私たちはムヤミに優遇される」などという“金言”が飛び出す。
では、どのように「ムヤミに優遇される」のか。

「食事などにしても全くもったいないというのほかはない。ふんだんにあとからあとからご馳走が運ばれる。ムダになることは一向にかまわない。全く『もうゆるしてくれ』と悲鳴をあげたくなるくらいである」などと、よくもまあヌケヌケと口にできるものだ。呆れ返ってしまうが、こんなのは、まだ序の口だ。柳田の寝言は止まない。

「お酒はのみ放題である。三度の食事のときはもとより、家の中でもほしければいくらでも注文できる。煙草はもとより毎日ほしいだけ配給される」。果物はなんであれ、「あらゆる季節のものが山のようにもりあげられて、各部屋にはこばれる」。「毎日毎日新しいものととりかえて、お盆に一ぱいずつもって来てくれる」。人心収攬工作は、まだまだ続く。たとえば、
①「床やに行こうとすれば案内の方がついて行ってお金を払ってくれる」
②「航空便を出すといっても、小包を送るといっても電報を打つといっても、荷造りから切手代から全部向うでやってしまってくれる」
③「何か不自由はありませんか、何か不足はありませんかといって、今少し何かしたい、できるだけのことをしたいといって来られる」

「『もうゆるしてくれ』と悲鳴をあげたくなるくらい」の山海の珍味も、酒も、煙草も、果物も、床屋の料金も、切手代も、小荷物送料も、電報代も、柳田という進歩的文化人を籠絡するためなら、「全く問題にならない安上がりなしごとである」。いいかえるなら柳田をダミーにして、日本の知識人層に日中戦争は日本側の一方的な犯罪行為であったという贖罪意識を徹底して培養させ、日本社会の隅々にまで中国主導の「日中友好ムード」を徹底して定着させようとする政治工作ということ。であればこそ「私たちはムヤミに優遇される」のではなく、じつは「私たちはムヤミに」利用されていたのである。

「『もうゆるしてくれ』と悲鳴をあげたくなるくらい」の駄弁・妄言は続く。《QED》