【知道中国 951】 一三・八・仲四
――「お酒は飲み放題である」・・・これを太平楽という(柳田の7)
「北京」(柳田謙十郎 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
柳田らの一行と同時期に代議士の団体も訪中していたようだが、「もようをみているとどうも私たちのグループの方を第一のお客としてあつかっている様子」だった。宴席でも工場や役所の見学でも、「先方ではまず平和代表団長の『柳田先生』といって私をさきに指名して中へ招き入れる」。そこで柳田は、こういった取り扱いは「どうも偶然ではないらしい」と考えはじめるのだが、そこから先が盗人猛々しい、いや進歩的知識人の代表格たる「柳田先生」である。さすがに奥床しい。
日本側の筆頭として扱われることは、「私としては非常に心ぐるしい。大体私は人の上に立つことのきらいな人間である。世の中をなるべく目だたないように、静かに生きて行きたいというのが私の趣味である。だから団長などという役も本来めいわく千万なことである」。宴席では「日本では政治の主権をにぎっている(ほんとうは国民なのだが)国家最高の地位にあ」る代議士たちを差し置いて、「私のような地位も権力も金もない一介の野人が正座にすわるなどということは決して快いことではない。人のうらみを買うようなことはできるだけやりたくないものである」。
「地位も権力も金もない一介の野人」が読んで呆れるが、それはともかく「天皇よりも今は代議士であるとさえ言っている」代議士を遥か下座にすわらせ、柳田はさぞや「快いこと」だったろう。それを十二分に承知しているからこそ、中国側は柳田とその一行を特別扱いする。代議士は落選したら木から落ちた猿以下であり社会的影響力は無化する。だが柳田らは木から落ちる心配はない。対日工作要員として存分に働かせることができるはずだから、である。
やがてお定まりの宴席冒頭での挨拶となるが、「だがこうなって見ればどうにもしかたがない」と、柳田は腰を上げた。さぞや“乃公、出でずんば”の心境だったろう。
「過去に日本が犯した数々の罪悪が今さらのように身にしみてくる、私の良心は痛まざるをいない。だからこういう正式の招宴でだまってご馳走になるわけにはいかない」。というわけで、過剰なまでのリップサービスになってしまうのは致し方ない。
「われわれ日本国民は」と切り出し、過去に「うぬぼれた民族的特権意識によって中国人民」に与えた「残虐をきわめた民族的行動」を「今更おわびなど申上げて見たところで、それで事がすむような罪の浅いものではない」と語った後、「かりに今私がこの席上で天を仰ぎ、地をたたき、涙に泣きふしておわびをしたからといって、それがあの戦争の犠牲になって死んで行った中国人民幾十万幾百万の人たちにとって何のなぐさめになるでありましょうか」と、頭を下げる。
ここで注目してもらいたいのが、「死んで行った中国人民」の数である。どうやら当時は「幾十万幾百万」で済んだようだが、現在では「幾千万」というのが“通り相場”らしいが、いったい、いつ頃から増えだしたのか。どこまで増やす心算なのか。じつに不思議だ。
話を柳田に戻すと、「さればいやしくも私たち日本人が、少しでも人間的な理性をもち良心もった存在であるならば、今日このようにしてオメオメとこの北京の町をたずね、みなさんからこのような歓待おうけするなどということのできるものではないのであります」と“懺悔”してみせた。
懺悔するしないは柳田の勝手だが、満座の前で懺悔させるのが中国側の狙いであればこそ、キミたちを「ムヤミに優遇」したというわけだ。酒が「飲み放題」なのも、何から何までもがタダなのも、全てが、柳田の口から懺悔の台詞をいわせんがためだった。
中国側の狙いはドンピシャ。懺悔の後に、日本革命への決意表明が飛び出す。《QED》