【知道中国 952】 一三・八・仲六
――「お酒は飲み放題である」・・・これを太平楽という(柳田の8)
「北京」(柳田謙十郎 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
「私たちがその恥をしのんでこの国をお訪ねいたしましたのは、日本の現実が私たちをいつまでもそのような悔恨の涙にかきくれて、ジッとしていることをゆるさないような情勢にまで刻一刻とせまってきているからであります」と、一転して柳田は自らを鼓舞して大演説をはじめる。
ここで当時の日本を振り返えると、昭和27(1952)年7月にサンフランシスコ講和条約が発効し日本は念願の独立を果たしたが、講和条約をめぐり「進歩的文化人」や左翼・革新陣営はソ連や中華人民共和国など社会主義陣営を加えるべきだと主張し、これを「全面講和」と僭称して当時の吉田政権を揺さぶる。この年は1月の白鳥事件にはじまり、青梅事件、東大ポポロ事件、血のメーデー、高田事件、大須事件、吹田事件、枚方事件など日本共産党が絡んだとみられる騒擾事件が多発し、28(1953)年7月には朝鮮戦争が休戦となり、8月にソ連が水爆実験に成功し、29(1954)年7月には自衛隊が発足する。冷戦時代の真っ只中。内外共に社会主義陣営は攻勢にでて、日本は革命前夜の様相を呈していた。
かくて柳田は神妙に革命への決意を披瀝する。
「すでにみなさんも御承知のように、日本の今日の政治は日本国民自身のために行われてはおりません。外国の軍隊はいたるところにわが国土を横行し、七百幾十という基地は全日本を網の目のようにはりめぐらし、アジアにおけるもっとも重要な兵站基地として使われております。そしてその上に日本の青年たちをかり立ててふたたび兵隊にしたてアジアに戦争をまきおこそうとしています。その仮想敵国はいうまでもなく貴国、中華人民共和国なのであります」と切り出す。アジア人同士を殺し合いさせる政策に、「どうしたものか今日の日本の政府は屈服して、理くつにならないような理くつをつけて、国民をだまし、日本再武装、日本軍国化、戦争の方向へと日に日にもってゆこうとしているのであります」と、招待者側の意向に沿った形での“現状分析”を開陳してみせた。
次いで、日本国民は戦争に懲りている。「善意の日本国民」はふたたび自分の息子を兵士として人殺しの道具にはさせない決意だ。にもかかわらず日本政府は「善良な国民」を自らの政策に従わせるために、「あらゆるデマを流し、弾圧を加え、ウソとゴマカシによって新しい国民の輿論をつくりあげようとしてい」る。そこで日本ではジャーナリズムを通じて流される「中国の侵略主義という神話」「共産主義の侵略」「赤色帝国主義」という「せんでんの前に日本国民はふたたび動揺しはじめた」と、日本政府に対する攻撃に転ずる。
だが「日本の良心は貴国に対しふたたびあの残虐をくりかえすことを」許さない。「どんなことがあってもこれをくいとめなくては」ならない。そこで「私たちはどうしても新中国の現実を見なくてはな」らないし、「新中国が今何を欲し、いかに動きつつあるか。それをしっかりとつか」み、できれば「中国人民と手をにぎり」、「アジア人の幸福をアジア人同志の協力によって作りあげてゆきたい。否、どうしてもそうしなくてはならない」と並々ならぬ“決意”を披瀝した。(なお、「同志」は「同士」と思うが。原文のままとした)
かくして「どうかこの日本の平和活動家の誠意のあるところをおくみとりねがいたい。過去は過去として現在の私たちとしてはこれ以外に生きる道はありません。その点何とぞ御了承を御願いする次第でございます――」と、「日本の平和活動家の誠意」を理解してくれと“懇願”し挨拶を閉じた。
当然のことではあるが、会場からは「激しい拍手が起こった」。“お約束”ということだ。
招待者は自分達の振り付けのままに演じた大演説に、大満足だったろう。一方の柳田は大演説に相当に喉が渇いたはず。だが問題はない。「お酒は飲み放題である」からだ。《QED》