【知道中国 955】 一三・八・念二
――「お酒は飲み放題である」・・・これを太平楽という(柳田の11)
「北京」(柳田謙十郎 『世界紀行文学全集』修道社 昭和46年)
柳田は「国家の要人まで新中国建設のためにこの人たちと同じ服装をしてはたらいているのだから何の不自由をもらす理由もない。彼らも心からよろこんで毛沢東政治を謳歌している」と高らかに綴っている。だが、「国家の要人」に接して、彼らと「この人たち」の着ているものが同じだと本当に思ったのだろうか。人民服にしても、デザインは同じでも生地が違う。片方が最高級なら、片方は綿の洗いざらしだったはずだ。
「彼らも心からよろこんで毛沢東政治を謳歌している」などと、よくもまあヌケヌケといえたものだ。開いた口が塞がらないとは、こういうことを言うのだろう。
児童病院からの帰路に古本屋に立ち寄った柳田は、「娘(東大の研究室で今東洋史を専攻している)もほしがっていることを思い出し、それを買う決心をした」。「それ」とは「二十四史」のこと。『史記』からはじまり『明史』まで歴代王朝が編纂した正史を集大成したもの。共産党的感覚でいうなら、封建王朝が自らの支配の正統性を主張した反人民史観に貫かれている反人民的歴史書となろうはずが、そうはならない。中華民族の偉大さを記した偉大な文化遺産と位置づけられるわけだから、莫明其妙(チンプンカンプン)。とどのつまり共産党も“偉大な中華民族”というカラクリから抜け出せず、それを頼ることになる。
さて柳田に戻るが、「娘(東大の研究室で今東洋史を専攻している)」とカッコつきでゴ自慢の娘を紹介し、単なる親バカぶりを世間に曝している。だが、その程度なら害はないが、その先が大問題だ。
「値段は定価はんばいで全くかけにしない。これは何処へいっても何を買ってもみんなそうである」と記した後、かつては「百円のいいねを一円にまけたなどということが日常のことであった中国が、わずかの間にこんなにもかわってしまう。昔の中国だけしっている人はおそらくほんとうにはしないであろう。だがこれは動かすことのできない現実の事実なのである」とした後、汚れた部分やら書き込みの有無を「わざわざ見せて私の了解をもとめる」「本屋の親父」の接客態度に対し、「何という親切さなのであろう。何という誠実さなのであろうとほとほと感心してしまう。これも政治の力である。よい政治とわるい政治とではこんなにも人間がかわってくるものかとつくづく感心せざるを得ない」と、毛沢東政治の素晴らしさを大々的に称揚してみせた。哲学者変じて毛沢東教徒、いや狂徒だ。
さらに言うに事欠いてか、「私は元来政治がきらいで、くされ切った日本の政治を見ていると、もう政治のことというと考えることさえもいやになっていたが、こう見てくると、世の中に政治ほど大切なものはない。やはりいやでも何でも政治のことはもっと関心をもたなくてはならないと思う」と言い切った。まさにバカにつける薬はなさそうだ、
その日午後、「北京近郊にある農業合作社を視察」し、「毛首席の力によって・・・農奴状態から解放され、全村民がみんな平等に自作農になった」という説明を何の疑いもなく書き連ね、「ここでもよい政治というものがどんなに農民の生活をゆたかにし、その人間を一変させてゆくものであるかということが明らかに示されている」と大絶賛した後、「日本の農民は戦争以来の悪政のために、だんだんと人が悪くなり、利己的打算的となって、田舎の純朴さなどというものは今はもうどこへ行ってもほとんど見られない」と日本の農民を小バカにしながら、「むしろ都会の知識人の方が物わかりがよくて話がしやすい」し、「ウクライナのコルホーズといい、ここの合作社といい、実に農村らしい素朴なあたたかさにあふれてなつかしい」などと、“知的幇間ぶり”を存分に発揮する。(「首席」は原文のママ)
彼の代表作とされる『弁証法入門』に「真実のよろこびというものは深いかなしみの経験のないものには味わうことができない」とあるが・・・嗚呼、痴的弁証法。トホホ。《QED》