【知道中国 2928回】                     二五・十一・念四

  ――“もう一つの中国”への旅(旅170)

日米関係は緊張の度を加えるに従って、ルーズベルト大統領は日本軍を中国大陸に縛り付けておくため、なんとしてでも蔣介石を味方として引き入れおく必要に迫られた。そこで、どのような手段を採ろうとも、日中両国が手を結ぶという悪夢だけは断々固として阻止しなければならない。

そんなルーズベルトの対日政策を支えたのは、19世紀半ば以降のアメリカの対中政策の一翼を担った宣教師による布教活動であり、困難な布教活動を支えた中国人に対するアメリカ人の奇妙な使命感であり、異常なまでに幼稚で、無防備極まりない親近感だった。

その点をタックマンは次のように解き明かす。

「アメリカ人はほかの国には感じない責任を中国に感ずるようになっていた」ばかりか、メディアも、蔣介石政権の「良い面だけをみて、欠点や失敗にはいっさい触れなかった」

このタックマンの指摘から窺えるのは、当時のアメリカで大統領からメディアまでが抱いていた中国に対する優越感の裏返しのような使命感――アメリカに従順な中国人をアメリカ化させなければならない――が、じつは根拠なき儚い妄想だった、という点だろう。

儚いばかりの妄想、言い換えるなら底なしのお人好しが結果として共産党政権を産み出してしまったわけであり、かくて当然のように歴史は『失敗したアメリカの中国政策』に帰結してしまった。こう考えてニクソン訪中以後の歴代アメリカ政権の対中政策の軌跡をザッと振り返ってみるなら、その根底を一貫する中国観はタックマンの忠言(忠告、いや告発、いやいや糾弾!)から一歩も出るものではない。トランプにしたところでホンネに大差ナシ、である。

とはいえ、そういったアメリカの反省なき姿勢に追随したままに過ごしているわけだから、我が国が犯し続けた錯誤もそれ相応に糾弾されなければならないことはもちろんだ。

さて本題に戻るが、どうやら「アメリカ人はほかの国には感じない責任を中国に感ずるようになっていた」とのタックマンの指摘こそ、蔣介石と宋美齢夫人を戴く勢力にとっては最大の狙い目だったことになる。タックマンは続ける。

――当時、アメリカは「中国が自分の目的のために、自分を使うものをうまく利用する能力を見くびっていた」。蔣介石らの最大の目的は自らの生き残り。「共産党を破壊し、外国の助けを持って日本をやっつけるため」、アメリカから莫大な援助を引き出す。結果として蔣介石は太りに太り、大陸は赤化してしまった。絵に描いたような大失敗だ――

「自分を使うものをうまく利用する」は、支配されながら支配する彼らの得意ワザに通ずるはずだ。じつはスティルウェルは蔣介石軍支援のためにルーズベルト政権から送り込まれたわけだが、蔣介石を陰で「ピーナッツ」と罵倒する。そんなスティルウェルであればこそ、蔣介石が好意を持って遇するわけがない。2人のソリが合うはずもなく、両者の軋轢は日増しに募るばかり。やがて「回帰不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)」を超え、スティルウェルはアメリカに召喚されてしまう。

じつはスティルウェルは蔣介石の妨害を受けながらも中国兵を督戦し、援蔣ルート切断のために進撃し緬北から滇西にかけて展開する日本軍を迎え撃つ。緒戦は散々な敗北に終わり命からがらインド東部に逃れるが、やがて態勢を立て直し、北部のフーコン谷地での激戦を皮切りに、日本軍を潰走させることに成功した。

死を前に、スティルウェルは「きみわからんのかね、中国人が重んじるのは力だけだということが」と呟く。「中国が自分の目的のために、自分を使うものをうまく利用する能力を見くび」ると、手酷いしっぺ返しを喰らう。罵倒して事足りるような生易しい敵ではないことを、スティルウェルの生涯を通じ、タックマンは熱く静かに語った。《QED》