【知道中国 2921回】                     二五・十一・仲四

  ――“もう一つの中国”への旅(旅164)

アメリカ民謡「線路は続くよどこまでも(I’ve Been Working on the Railroad)」ではないが、原油と天然ガスのパイプ・ラインはどこまでも続いている。その、どこまでも続く工事現場のそこここに、「譲標準成為習慣 習慣符合標準 結果達到標準(標準を習慣とし、習慣を標準に合わせ、標準を達成せよ)」との「標準」の達成を求めるスローガンが大きく掲げられていた。

ここまで「標準」の2文字をしつこく重ねるのは、おそらく工事を「標準」に基づいて進捗させたいからに違いない。かりに「標準」を違える工事が常態化しているなら、完成後が思いやられる。

じつは「中国 離印度洋最近」を掲げる芒市で2泊したホテルのエレベーター・ホールに掲げられたVIPとホテル従業員との集合写真をみていると、北京から少なからざる最高幹部――胡錦濤(中央政治局委員。カッコ内は視察当時の地位。以下、同じ)、温家宝(国務院総理)、李瑞環(中央政治局常務委員)、李長春(中央政治局委員)、劉華清(中央軍事委員会副主席)、胡耀邦(中央委員会総書記)、王岐山(国務院副総理)、朱鎔基(国務院副総理)など――が視察にやって来ていた。共産党政権は、さほどまでに滇西開発に意を注いでいたことが判るようだ。

昭和19(1944)年春の日中両軍激闘の地である龍陵への道すがら、龍陵手前に位置する分哨山検問所に到着する。

検問所を背にして立つ。道路を挟んだ遥か前方の稜線の辺りを、戦争当時の旧滇緬公路が走っているとのこと。この峠を越えると下り坂が続き、その先に「四方を山に囲まれ盆地の町である」と古山高麗雄が『龍陵会戦』(文春文庫 2005年)に記す龍陵がある。27万ほどの人口を擁し、翡翠を産する。

検問所の壁に「徳宏――中国向西南開放 橋頭堡黄金口岸(徳宏は中国が西南に向かって開かれる橋頭堡であり、最上の通商ポイント)」と大きく書かれていた。徳宏タイ族景頗族自治州は西南方向に当たるミャンマーやインド東部に向かってビジネスを展開せよ。まさに全ての道はインド洋に続く、という魂胆だ。一時が万事、「離印度洋最近」なのだ。

検問所を境にして少数民族居住区と漢族居住区とに行政単位が分かれ、検問所から先は保山市に属す漢族居住区である。検問態勢は予想外に厳しい。写真撮影厳禁で、車内に乗り込んできた防弾チョッキに手には銃の兵士から鋭い視線が注がれる。

目に付くところに「打好新一輪禁毒人民戦争 全力維護辺境平安穏定(新たなる麻薬撲滅人民戦争を勝ち抜き、辺境の平安と安定を全力で守れ)」「禁絶毒品 功在当代 利在千秋(麻薬撲滅の功は今に、効果は末代まで)」「伴毒如伴虎(麻薬は虎のように危険だ)」などと麻薬撲滅スローガンが掲げられている。ミャンマーと接する少数民族居住区からの麻薬密輸を取り締まるためとのことだが、それほどまでに漢族居住区への麻薬持込が多いに違いない。

だが厳重な検問態勢には、反政府活動に繋がるような武器の持込みを阻止しようという意図が隠されている。ならば麻薬対策を口実にした少数民族対策とも考えられる。

検問も終わり峠を下る。龍陵は古山の説くように「四方を山に囲まれ盆地の町」だった。「その四方の山々に構築してあった陣地を奪われれば、市街は脆弱な姿をさらすことになる。だから守備隊は、周辺の陣地を守ろうとしたのだが、兵員十五倍以上、火力は何十倍もの遠征軍を撃退するのは容易ではなかった」との古山の述懐が実感として伝わってくる。

龍陵で小休止したホテル近くの路地をブラブラすると、商店の軒先に「依法用電是您的権力 交納電費是您的義務」と地元電力会社の告示が貼られていた。《QED》