【知道中国 2918回】                     二五・十一・初八

  ――“もう一つの中国”への旅(旅161)

通貿興辺試験区から辺境経済合作区へと省を超えて国家レベルのプロジェクトに。その後さらに格上げされ、綏芬河開発は国際レベルに。1999年6月、中ロ両国政府は綏芬河を「中ロ互市貿易区」に指定した。それというのも、綏芬河はロシア側国境の街であるポクラニーチナヤとはわずかに21キロしか離れていないからである。いわば綏芬河とポクラニーチナヤとの関係は、もう1つの「中ロ双子城」でもあるわけだ。ここに目を付けて土地を買い漁り不動産開発を進めたのが、遥か南の広東生まれでオーストラリアからUターンし中国最大級の不動産集団に急膨張した世茂集団を率いた許栄茂である。

その後の彼の一躍千丈・波瀾万丈・一落千丈・経営窮状に関しては、ここでは敢えて言及しないでおく。

2002年2月になると、両国は綏芬河とポクラニーチナヤを一体化する「綏・ポ貿易総合体」を発足させている。この経済協力システムを香港やマカオで行われている「一国両制」に因んで「一区両国」と呼ぶが、国家統計局によれば、以後、綏芬河市は「全国百強県(市)」にランクイン。総合経済力では黒龍江省内の県(市)のなかでトップ・クラスに大躍進している。もちろん、許栄茂のフトコロが大いに潤ったことも想像に難くない。

そういえば国境口岸事務所ビル前の駐車場、ということは事務所ビルの真正面であり、ここから入国するロシア人が真っ先に目にする場所だが、そこに豪華マンション、瀟洒なタウンハウス、繁華街のショッピング・モールなどの巨大な不動産広告がびっしりと並んでいた。凡てロシアの文字で、漢字は1字も見当たらない。明らかにロシア人向けだ。黒河のマンション価格は1㎡当りブラゴヴェシチェンスクの5分の1程度で200ドル前後とか。そこで黒河側業者はロシア人専用の不動産物件を用意する。年間で30万人を超えるロシア人が黒龍江を渡り、ロシアより値段の安い日用雑貨や電化製品を購入しているとか。1人当たり手荷物は50キロまで免税だそうだ。

この街にも「一区両国」のすき間を狙って一山当てようと虎視眈々と蠢いているヤカラがワンサカいたはず。先んずれば人を制す、である。許栄茂が成し遂げた超破格の“栄達”に倣い、黒河の土地を買い漁る不動産業者がいたとしても、なんの不思議もないはず。

大黒河島から戻って最初に目に付いた大きな建物が黒河第一人民病院だった。中に入ってみると、広い待合室は多くの患者で埋まっている。日本でも見慣れた大型総合病院風景といったところだが、ここからが中国的。いや、正確に表現するなら中国的が過ぎる。

正面玄関を背にすると広い駐車場の先の商店街には瑞祥、寿瑞、譲民などメデタイ名前の「寿衣店(葬儀屋)」が並ぶ。もちろん、寿衣店は病院ビルの一角にもあった。中を覗くと棺材(棺桶)、骨灰盒(骨壷)、寿衣(経帷子)に加え竹ヒゴと紙でできた車や家電製品が並べられていた。これら紙製の車や家電製品の模造品は焼かれ煙と化してアノ世に送り届けられ、ご先祖サマに使って戴くという仕掛けである。

この世の生活が近代化し便利になればなるほど、あの世でもモダンな生活が送れるというカラクリである。ゴ先祖サマと子孫との“交流”の形を微笑ましくも感じるものの、なんとも即物的である点に首を傾げざるをえない。なぜ、そこまでモノに直截に拘るのか。

アノ世も玉皇を頂点とする厳然たる官僚社会で、コノ世と同じ仕組み。役人が威張っているから袖の下が威力を発揮するハズ。そこで、アノ世のサタだってカネ次第――これが中国伝統の《アノ世観》に違いない。さて文革時代、寿衣店では冥界用の『毛主席語録』を売っていただろうか。霊験あらたかな書物をゴ先祖様にも読ませたいと思ったところで、ご先祖サマに届けるためには焼いて煙としなければならないが、そうしたら焚書。有無を言わせず反革命の大犯罪。寿衣店製だろうが、『毛主席語録』は「紅宝書(じんるいのたから)」である。まさか灰にしてあの世に送るわけにはいかなかっただろう。《QED》