【知道中国 2897回】                      二五・九・念九

  ――“もう一つの中国”への旅(旅143)

展示されている品々や写真をみると、よくもここまで日本人を軽侮してくれたものだ、と呆れ返るばかり。腹が立つばかり。無知に基づく誤解のレベルを遥かに超え、意図的な曲解やコジツケとしか思えない説明文も見受けられた。その典型を2例ほど紹介したい。1つは将校の私物保管箱と思われる木箱であり、もう1つは仏壇だ。

先ず木箱。縦横20㎝ほどで長さが60cmほど。木目の細かい材料で作ってあり、薄茶色に塗られている。上蓋の上部中央には上からの金色の桐の紋章、中央部に「悠久護皇國」の金文字、その下に「陸軍中尉」とあるが、持ち主と思われる人物の名前は黒く塗りつぶされている。説明文には「死んだ後に火葬し、骨と灰を仮に収めておくための日本軍用木箱」とある。

次の仏壇だが、巾60cmほど、高さ70cmほど、奥行きが60cmほど。小さいながらも手の込んだ細工が施されている。それには、なんとも腹立たしい説明文がされていた。中国語の語感そのままに訳すと、「死んでもロクなことはない日本侵略軍は、こんな倉のような霊牌(いはい)を持ち歩き、島国に送り返し、靖国神社に放り込もうと目論んだものの、遠征軍の戦利品となってしまい、後世の笑いものとなり、万人の唾を受ける羽目になった」。よくもマア、ここまでのデタラメを。因みに、木箱は仏壇の上に置かれていた。

日本の兵士は、遺骨を納めた仏壇を背負って靖国神社の神殿に額づきはしない。靖国神社は英霊の集う神域である。ましてや日本軍は仏壇を背負い、骨壷代わりの木箱を携え戦場に赴かない。憤怒・憎悪・悔恨・屈辱など感情は深く静かに胸裏に納め、日本人は亡くなった相手に手を合わせ、祈る。「後世の笑いもの」にしたり、「ザマー見ろ」とばかりに唾を吐きかけ溜飲を下げようなどというさもしい根性を、日本人は持ち合わせていない。

ここを訪れる中国人――あるい里帰りするミャンマーをはじめ各地の寸氏末裔――の誰もが、この悪意に満ちた説明文を信じ込み、“愚かな日本軍”に勝利した遠征軍の雄姿に思いを馳せることだろう。

だが、その遠征軍は米軍にとっては飽くまでも消耗品でしかなく、ましてや滇緬での日本との戦争に共産党は露ほどの働きもしてはいないはず。だから共産党は本当のことには固く口を閉ざす。たとえ口が裂けても・・・である。

ブラブラと館内を歩いていると、10人ほどの中国人が群がっていた。面白そうなので近寄って耳を傾ける。話題の中心は彼らが前にしているガラスケースに収められた「遠征軍軍旗」だった。会話の内容からして、誰もが共産党が遠征軍を派遣したものと固く信じ込んでいるようだった。だが事実は全く違う。

遠征軍の正式名称は雲南遠征軍だが、実態は「蔣介石軍で、・・・米式重慶軍」(古山高麗雄『龍陵会戦』文春文庫、2005年)であった。だからこそガラスケースの中の軍旗は、当然のように中華民国の軍旗である。だが、そのことが参観者には判っていないから、中華民国軍旗も共産党が使っていたと思い込んでいるのである。

じつは博物館に冠せられた「滇緬抗戦」においては、共産党の出る幕はなかった。だが共産党としては、そんなことは断固として認めるわけにはいかない。そこで必死に、巧妙な仕掛けを施し、事実を知らされていない参観者の“洗脳”に努める。たとえば「美国前総統布什給保山市長熊清華先生的信」との説明文がある展示品がそれだ。

「美国前総統布什」、つまりパパ・ブッシュが騰冲を管轄する保山市の熊清華市長に送った書簡である。コピーと思われる書簡の便箋最上部中央には「GEORGE BUSH」と印刷され、その脇には中国語訳が置かれ、双方がガラスケースに収められている。英文の方の末尾にはブッシュのサインがあり、日付は「September 28,2004」だった。《QED》