【知道中国 2892回】                      二五・九・仲八

  ――“もう一つの中国”への旅(旅139)

広東系集中居住区を一回りして広東大通りに戻ると、歩道橋脇に新聞スタンドがあり、華字週刊誌『緬甸華報(MYANMAR MORNING POST)』が目に入った。タプロイド版で20頁。ザッと読んでみたが、ミャンマー国内の政治・経済・社会に関する記事はもちろんだが、華人社会の動向、文芸欄、慶弔広告など。海外欄では中国・香港・台湾・周辺諸国などの主要ニュースが分かり易い文章で綴られていた。記事内容を読む限り、内外の必要最小限の情報に接することは可能だろう。

現在のように手軽にネット情報に接することなど夢のまた夢の時代であった当時、華人にとっては安価で簡便至極な情報入手ツールだったに違いない。とはいえ、軍事独裁体制ではあればこそ当然の措置である情報統制下にあって、なぜ、こんな華字週刊誌が道端で、しかも特段の制限もなく売られているのか。首を傾げないわけにはいかなかった。

同誌はアメリカのクリントン政権による経済制裁が始まり、欧米でアウンサン・スーチーを「民主化のジャンヌダルク」とばかりに煽り立て、タンシュエ独裁体制が最高権力機関の名称を国家法秩序回復評議会(SLORC)から国家平和発展評議会(SPDC)に変更した翌年の1998年11月4日に創刊されている。

「創刊の辞」には、こう記されていた。

「我が緬甸(ミャンマー)連邦におい華字紙・誌の発行が中断されて30数年が経つ。本日の『緬甸華報』の創刊は、華人社会にとってはこのうえない慶事であり、我が国指導者の叡智と先見性に感謝するばかりだ。

本誌創刊は、我が国指導者が世界の5大文字の1つである華文を重視しているばかりか、ミャンマーにおける華文発展の必要性を認めていることを物語っている。東南アジア各地のみならず世界各国の華人社会と結ばれることで、我が国の経済・貿易・文化往来・情報交流の促進が果たされる。この目標達成に向け、本誌は尽力する。

我が国の経済発展と華人にとっての切実な利益は、断固として切り離すことはできない。ミャンマー連邦の富強は我々にとって当然の任務である。

(30有余年の断絶によって、我が国の情報関連技術は世界のレベルから大幅に立ち遅れてしまったが)、我が国の繁栄と富強のため、ミャンマーの華人社会の文化事業のため、我々は本誌発行に最大の努力を傾注する決意だ。我が国指導者と華人社会各界に対し、あらん限りの支持と支援を心から希望する」

――新聞スタンドの老人に中国語で尋ねると、「6000部発行体制で始まったが、現在では5000部程度に減少した。30%前後がヤンゴンで、70%前後は中部のマンダレー(古くは瓦城、現在は曼徳勒)を中心とする『上ミャンマー』で捌かれている」と、広東語訛りで返ってきた。どうやら上ミャンマーには華人が多く住んでいるようだ。

創刊に当たっては、ミャンマー国内では100超の華人団体が、国外では香港華僑華人総会、ミャンマー華人で香港在住の親中派老ジャーナリスト、北京緬甸帰僑聯誼会、米カリフォルニア南洋中学校聯誼会などを含む親中派10団体ほどが祝賀広告を寄せている。

その後の動静は不明だが、創刊の辞や出版支援者・団体などから判断して、『緬甸華報(MYANMAR MORNING POST)』はタンシュエ軍事政権とミャンマー華人社会(その背後の北京)との“妥協の産物”と考えられる。であればこそ1万部に満たない週刊誌に過ぎないものの、「熱帯への進軍」の手を緩めない北京にとって重要な武器と見なすことは可能だろう。であればこそ、メディアを通じての中国共産党の宣伝・洗脳工作のキメの細かさと執念には、ホトホト感心するしかない。

チッポケな活字メディアと軽んずるな。やはりナメタラあかんぜヨ!《QED》